織田常松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田 常松(おだ つねまつ)は室町時代の武将。尾張国守護代。織田将広の子。常松は法名で有り、正式には伊勢入道常松で、秀峯とも称した。
尾張国守護・斯波義将に仕え、義将より、尾張国守護代へ任じられた。 常松は在京守護代で有り、弟の織田常竹が又代官として、在地支配をして入た。
『醍醐寺文書』によると「尾張国守護代織田伊勢入道」と有り、応永6年(1399年)の応仁の乱で、常松は主君の尾張国守護・義将に従軍。
『満済准后日記』によると「織田伊勢入道所労以外聞」とあり、正長元年(1428年)頃、常松は病に犯される。醍醐寺住職の満済が常松の所に見舞いの使者を送り、其の時、応対した者を織田弾正忠某と謂う。『建内記』によると永享3年(1431年)「織田故伊勢入道尾張国守護代」と有り、故伊勢入道とは常松の事であり、正長年間~永享年間頃に死去したと思われる。
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 織田氏 | 守護代 | 武士