航空宇宙技術研究所
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航空宇宙技術研究所(こうくううちゅうぎじゅつけんきゅうしょ、National Aerospace Laboratory of Japan、略称:NAL)は、総理府(現内閣府)科学技術行政協議会により1955年(昭和30)に設立された研究所。8年後の1963年(昭和38)科学技術庁(現文部科学省)「航空宇宙技術研究所」と改称された。現在は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の一部となっている。
[編集] 活動実績
設立以降、航空宇宙分野の国立研究所として活動を続けてきた。国産旅客機YS-11の開発支援、短距離離着陸(STOL)実験機「飛鳥」の開発とそれに搭載する国産では初となったターボファンエンジンFJR710の開発、またH-IIロケットの第一段ロケットエンジンLE-7用液酸ターボポンプの開発、極超音速飛行実験機(HYFLEX)と小型自動着陸実験機(ALFLEX)の共同開発、さらに次世代超音速機(SST)や成層圏プラットフォームなどの研究開発と協力などを行ってきた。
この研究所は同時に試験機関としての側面もあり、大型試験設備として世界有数の風洞群を持つ。風速1m/sからマッハ15の極超音速までの速度領域をカバーする、9つの実用風洞設備を有している。
基盤研究分野では、数値シミュレーション技術の開発(NSシステム)も古くから取り組んでおり、1993年(平成5)に富士通と共同開発した「数値風洞(NWT)」は、当時世界最速のスーパーコンピュータとして話題になった。
2003年(平成15)10月宇宙開発事業団・宇宙科学研究所と統合され、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の一部門となった。航空宇宙技術研究所の担当分野は総合技術研究本部となり、ロケットや飛行機とその周辺技術の研究を担当している。
「飛鳥」の実用化失敗などを内外から批判された結果、JAXA統合までに一度も有人の実験機を製作することはなかった。統合後は研究所内での比較的規模の小さな実験にとどまっている。2002年(平成14)7月に行った久々の独自設計による超音速機(SST)無人実験機が、設計ミスから発射に失敗し大破する事態となり、実機製作の経験不足を露呈する形となった。
2005年(平成17)9月にSST無人機の再実験が行われ、ようやく成功を収めた。将来的にはコンコルドの後継機をフランスと共同開発する計画がある。この成功により、縮小気味であったYS-11以来の「国産旅客機」実用化への期待が持たれている。
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