芋川椋三玄関番之巻
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芋川椋三玄関番之巻(いもかわむくぞうげんかんばんのまき)は、日本で最初に製作されたとされるアニメ映画である。
[編集] 作品内容
資料は殆ど無い為、ストーリー等全く不明。フィルムも残っていないと思われる。
製作方法は、数種類の背景を印刷し、その上からキャラクターを描く方法だったという。
資料によっては、芋川椋三玄関番の巻となっている。古い作品の為、資料がまちまちの為と思われる。
[編集] 製作の背景
1914年4月15日、、イギリスのアニメIsn't It Wonderful?を、「凸坊の新画帳」と邦訳して公開されたのが、日本で最初に封切られたアニメ映画である。(この場合のアニメ映画は線画を用いた現在のアニメと同じタイプの事。コマ撮り等の手法のアニメは以前にあったようである)
これに刺激を受けた日本の映画会社はその研究に乗り出し、1915年、日活向島撮影所が洋画家の北島清太郎を迎え入れ、アニメ映画の研究を開始する。1916年、天然色活動写真株式会社(天活)は漫画家の下川凹夫を迎え入れ研究を開始する。さらに小林喜三郎が設立した小林商会は、漫画家の幸内純一を迎え入れ(下川凹夫と幸内純一は日本近代漫画の父である北澤楽天の弟子)、製作を開始する。
この3社による競争となったが、1917年1月、天活の芋川椋三玄関番之巻が国産アニメ映画の第1号となった。遅れること数ヶ月の1917年5月、日活の猿蟹合戦が公開。6月に小林商会の塙凹内名刀之巻が公開された。