芸娼妓解放令
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芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい)とは、明治政府が1872年に発した遊女の人身売買の規制などを目的とした法令。
1872年(明治5年)、マリアルス号事件(マリア・ルーズ号事件)が発生。人権問題の解消を促す流れの中で、芸娼妓解放令が出された。
強制的な年季奉公の廃止など、公娼制度を大規模に制限する法令であったが、準備期間が全くないまま唐突に発せられた点は否めず、解放された女性の転職、収入面の補償などのケアは個々の地方に任される状態であった。このため、法令としてはあまり機能せず、女性がおかれた状態はあまり変わらなかったという。
芸娼妓解放令は直接的に機能したとは言い難い状態であったが、同令がきっかけとなり、貧農の娘の身売りを防ぐために、女性に対して教育や軽工業に対応する技能習得の場が設けられた地方もある。これらの中には、明治時代中期以降に女性労働力に着目した工場制手工業の基盤を形成したものも多い。