若狭彦神社
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若狭彦神社・若狭姫神社 | |
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所在地 | (若狭彦神社)福井県小浜市龍前28-7 (若狭姫神社)福井県小浜市遠敷65-41 |
主祭神 | (若狭彦神社)彦火火出見尊 (若狭姫神社)豊玉姫命 |
社格等 | 式内社(名神大)・若狭国一宮・国幣中社・別表神社 |
創建 | 和銅7年(714年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | (若狭彦神社)10月10日 (若狭姫神社)3月10日 |
若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)は、福井県小浜市にある神社である。上社・下社の二社からなり、上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)という。式内社、若狭国一宮で、旧社格は国幣中社。郡名から遠敷明神ともいう。
若狭彦神社は若狭彦大神(彦火火出見尊)を、若狭姫神社は若狭姫大神(豊玉姫命)を祭神とする。神紋は「宝珠に波」で、彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠に因むものである(山幸彦と海幸彦を参照)。
若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集める。若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。
[編集] 歴史
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、その姿は唐人のようであったという。和銅7年(714年)9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。翌霊亀元年(715年)9月10日に現在地に遷座した。白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。
下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。延喜式神名帳では「若狭比古神社二座」と書かれており、名神大社に列している。上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社に移った。現在もほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している。
中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。
[編集] 伝承
当地の伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている。旧暦2月には、鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。その水を受けとる祭事が二月堂の「お水取り」である。ただし、今日では、元は当社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体となって行われている。