葦原金次郎
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葦原 金次郎(あしはら きんじろう、1852年 - 1937年)は、明治後半から昭和10年代の長きに渡って大衆に人気があった統合失調症患者。葦原将軍、葦原天皇とも呼ばれる。
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[編集] 生涯
葦原金次郎は金沢生まれの櫛職人であったが、24歳頃に誇大妄想症を発病した。 1882年に東京府癲狂院(1889年に巣鴨病院と改名)へ入院。原因は天皇への直訴未遂事件を起こしたためであった。数度の脱走を繰り返した後1885年に再入院。彼の誇大妄想は日露戦争の戦勝とともに肥大化し、いつしか将軍を自称するようになった(なお、昭和の頃には天皇を自称するようになった)。1919年に松沢病院へ転院、以後1937年に88歳で亡くなるまで松沢病院で過ごした。 墓所は世田谷区の豪徳寺、戒名は至天院高風玄居士。墓石には「自称芦原将軍として56年の生涯を狂聖として院の内外に名物男として知られ」と彫り込まれている。 正しくは至天院高風”談”玄居士である。
[編集] 逸話
病院に来る新聞記者や参観人に勅語を乱発しては売りつけたりした。葦原将軍の乃木希典との会見や、伊藤博文に金を無心して無視された事もある。日露戦争時、「相撲取りの部隊を出してロシア軍のトーチカを破壊せよ」と発言するなど戦前のジャーナリズムを大いに賑わす人気者であった。
[編集] 関連項目
- ジョシュア・ノートン - 19世紀に皇帝を自称したサンフランシスコの人物
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 石川県出身のタレント | 1852年生 | 1937年没