ノート:虫プロダクション
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[編集] アニメ作品ではテレビ局に著作権を売らない
この部分の記述が消されましたので戻しました。この件に関する言及は非常に多くあるのですがすぐには手元の資料で説明ができませんのでかいつまんでご説明いたします。
アニメ作品のグッズで、テレビ局のコピーライトが入っているものは当然多量に存在しますが、その場合でもほとんど必ず、制作プロダクションの名が入っています。アニメ(と特撮番組)以外ではそのようなものはあまり存在しません。「製作・著作・○×テレビ」とエンドクレジットに入る型の作品はすべて著作権を放映局が買い取る方式の番組です。ただし、アニメでは「製作・著作・○×テレビ」という作品はほとんどなく、「製作・著作・○×テレビ・△□プロダクション」と、プロダクション名が入るものが(1963年以降)ほとんどです。もちろん、近年の製作委員会形式のものもこれに入ります。
初期にテレビアニメを制作していたTCJは、著作権を全部テレビ局に売り渡す方式をとっていましたが、それでは版権ビジネスが成り立たないのでだめだ、ということになり、放映権のみを売る方式に変えようとしたところ、諸般の理由でそれがうまくいかず、エイケンやズイヨーのようにプロダクションが分裂する要因になった、と当時の関係者が証言しています。
手塚治虫自身が、虫プロダクションに関して、たとえば、アメリカから商談があったときに、権利を全部売る方式では決して売らなかった、必ずエンドクレジットに「Mushi Production」と入れさせるようにした、ということをどこかで書いてます。もし著作権を全部売り渡すことになると、このようなことはできませんし、また、NBC側がアトムをずたずたに切った上で再編集することも可能でしたが、手塚と旧虫プロは決してそれには同意しませんでした。
また、もし著作権を全部フジテレビに売ったのだとしたら、アトムのNBCの放映権3億円が旧虫プロに入ったという事実が説明できません。
なお、NHKアニメに関しては、制作費を潤沢に支給するかわりに、著作権をすべてNHK側が取るという形態のアニメが現在でも少なからずあるようです。一応それは付記しておきます。Modeha 2006年3月20日 (月) 15:42 (UTC)
- 誤解があるようですので説明しますと、事実に反するの記述は以下の2点。「当時から、テレビ番組の著作権は放映する局がすべて買い上げるのが通例であった」「この後もアニメ番組に限っては制作プロダクションが著作権を保持した」。「鉄腕アトム」以前からフィルムで撮影されたいわゆる「テレビ映画」は各制作プロダクションが著作権を保持しており、テレビ番組で引用される場合は、例えば1958年の「月光仮面」ならクレジットされるのはTBSでなく、宣弘社です。子供向け番組に限ったことでなく、大人向けでもテレビ映画は買い取りではありません。もちろん「アニメ(と特撮番組)以外ではそのようなものはあまり存在しません」というのも誤り。制作プロダクションがよって、いちいち特筆することではないのです。--Wing09 2006年3月20日 (月) 16:15 (UTC)
コマーシャルフィルムを主につくっていたTCJは、当然ながらテレビ番組を制作するときも当初諸権利すべてを売り渡していたと、元社員の高橋茂人が述べています。[1]これによると、鉄人28号はテレビ局主導でつくられたので全く利益が出ず、版権ビジネスも成立しなかったので、サスケ以降では著作権をTCJ側が持つ契約に変えようとしたところ交渉の途中で違う話になってしまい、それが遠因で高橋茂人はTCJを辞してズイヨーを立ち上げた、というエピソードがあります。当時はまだ著作権がどうとかいうのはどうでもいい時代に近かったので、制作プロダクションとテレビ局の力関係等によって契約内容は相当変わってしまっていたようで、いちがいに、フィルム制作だから、というのは関係ないと思います。確か、実写ドラマ版「鉄腕アトム」では手塚側の権利がほとんど残らなかったのも、アニメ版の権利に関して虫プロ側がうるさくなった原因のひとつのようにも聞いています。これ以前の劇映画で著作権を制作プロダクション側が持っている例を否定はしませんが、当初から放映権以外は一切売り渡さないという方針をたてて長期間(約10年)活動し、それが容認されたプロダクションという意味では、やはり虫プロダクションはパイオニアといえるでしょう。そもそも、当時の宣玄社は、その名のとおり、制作プロダクションというよりは広告代理店です。月光仮面も登場人物にスポンサーの製品を使わせるなど実験的意味合いの多い作品だったようです。そうなるとテレビ局が再放映するときはいちいち再放映時のスポンサーがバッティングしていないか確認しなきゃなりませんから、実質的に制作を主導した広告代理店が権利を持っているのはおかしくはないと思います。また、宣玄社 のサイトでも、著作権を制作プロダクション(とは書いていませんが)で管理してグッズ販売で生計を立てるのは後続の他社作品の鉄腕アトムが最初だ、って書いてます[2]。ので、著作権自社管理+グッズ販売の版権料収入+海外放映料で生計を立てるシステムをつくったという意味で、該当の表記は別におかしくはありません。Modeha 2006年3月21日 (火) 00:57 (UTC)
- 虫プロの制作システムが画期的だったとされるのは、省力化とともにマーチャンダイジング収入を前提としたことであって、このことは多くの文献にも共通しています。Modehaさんが挙げられた宣弘企画の説明にもあるとおりです。しかし、著作権を売らなかったのが画期的だったかというと、そうではありません。文献でもこのことが画期的だったと指摘する論を見かけたことがありません。現実にテレビ局が自社で制作していない当時はテレビ映画と呼ばれたテレビドラマは、映画を作るノウハウを持つ映画会社やプロダクションが制作し、第1号とされる『月光仮面』から制作会社が映像の著作権を持っていて、子供向け番組の『鉄腕アトム』もその例に倣ったに過ぎないからです(テレビ局は基本的にビデオ撮影、制作プロはフィルム撮影。よってテレビ映画と言われた)。テレビ部を持っていた映画会社系の東映、東宝、松竹、国際放映、テレビ局資本が入っている制作会社、いずれも自社で権利を持っており、虫プロダクションが著作権をテレビ局に売らなかったのがエポックメーキングとするのは誤りです。
- フィルム撮影の『鉄腕アトム』は制作した松崎プロダクション側に映画の著作物の権利があって、原作提供に過ぎない手塚治虫にもテレビ局側にも権利がなかったというなら、後に虫プロダクションが制作したものは虫プロダクションが権利を持つというのは別に特別なことではありません。原作提供しただけの『マグマ大使』についても原作者としての権利は持っていても、映像の著作物はピー・プロのものです(後にピー・プロは自社作品の地上波の放映権を東北新社に完全に売ったそうですが)。
- なお、反例として挙げているTCJですが、例外はあくまで例外です。TCJ以外の虫プロ、タツノコは漫画家が作ったプロダクションだから当然のこと、自社で原作権を持ち、大手映画会社東映をバックに持つ東映動画も初のテレビアニメは自社オリジナルの『狼少年ケン』、その後も版権を持っています。NETが東映の資本系列という関係もあるんでしょうが。うしおそうじのピー・プロは社長が漫画家なのに他人の原作でしたが、これも二次著作物の映画の著作部の権利はピー・プロが持っており、開局間もなくはピー・プロ作品に負っていたキッズ・ステーションでは盛んにピー・プロ作品を放送していました。早い話がTCJが例外であって、特筆すべきはTCJの体制なのです。Modeha根拠として提示している高橋茂人のコメントでも、TCJがやっていたのは作画から撮影までとあり、企画から脚本の発注、演出や音付けはTBSがやっていたとあります。TCJは完成品を納入するのではなく、下請けに過ぎなかったので著作権を持てなかったのでしょう。豊田有恒の「日本SFアニメ創世記」によると、『エイトマン』の絵コンテは河島治之が1人で担当していたが、この人物はTBSの演出部所属です。脚本家もTCJでなく、TBSの漫画ルームというところで作業していたそうです。商品化権料の配分についても、『エイトマン』の場合は平井和正と桑田次郎、『スーパージェッター』は脚本家グループと漫画を描いた久松文雄の折半、『宇宙少年ソラン』からTBSが商品化権を持ったとあります。『スッパージェッター』の著作権表記は、TBSになってますね。そういうことで、TBSが制作にかなりの部分で関与していたTCJの例は例外であって、今でも著作権を持てない元請け会社はありますが、同じくTBSが自社のディレクターを派遣していた『ウルトラマン』『ウルトラセブン』と同じく、こういうテレビ局の関わり方は今日では珍しく、TCJはかなり異色だったと言えます。特筆すべきは虫プロでなく、TCJなのです。--Wing09 2006年3月21日 (火) 03:01 (UTC)
Wing09氏が主張しているアニメ作品は全部『鉄腕アトム』以後の作品のようですが。後発(テレビアニメ制作という意味では、東映動画も虫プロより後発隊です)のプロダクションが「虫プロは著作権自社管理なんだから、うちもそうしてくれ」って頼み込める環境をつくった、という点では、虫プロはやはりパイオニアだといえます。また、たまたまいろんな都合で著作権がプロダクション側管理になった作品と、主義主張として放映権以外の権利は一切売らなかった(テレビ局側企画の下請け作品の制作は行わなかった)プロダクションは分ける必要はあるでしょう。鉄腕アトム以前に著作権が制作プロダクション側を持つ形の作品があったことは何度でも書きますが否定しません。私の書いたものは、他のプロダクションには、著作権自社管理作品とテレビ局管理作品が混じっているが、旧虫プロだけは、「製作・フジテレビ」という作品は1つもない(末期にズイヨーの下請けはやってますが、それでも、テレビ局管理の作品はありません)という意味です。もっとわかりやすくいえば、「うちが著作権を持つ形でなければ、どんな話もお断り」などとずうずうしいことをいってのけられてかつ実行したプロダクションがそれ以前にどれくらいあったのか、という意味です。それも、虫プロは当時社員20数名、実績も何もない弱小プロダクションです。東映や東宝のように巨大な力や過去のコンテンツがあったわけではありません。そんな弱小プロダクションでさえも、著作権自社管理を認める方向にいったために、後発のやはり弱小のアニメプロダクション(竜の子プロダクションなど、といってしまっては失礼ですが、アニメをはじめたときの竜の子は実際に小さいプロダクションだったそうです)の経営が成立できたのだというのは特筆してもよいでしょう。
(ただ、旧虫プロは、お菓子に鉄腕アトムの絵をつける権利だけは、スポンサーの明治製菓に全部売り渡してしまったようなので、一応それは付記しておきます)それと、宣弘社(さっき間違って宣玄社と書いてしまいました)は制作プロダクションではなくて、広告代理店だった、という点については同意していただいたということでよろしいでしょうか。
それと、この時代、1963年当時、テレビ用アニメーションを(CMが主とはいえ)制作していたTCJが 著作権を売り渡していた、というのは非常に重要です。Wing09氏は、フィルム制作のものは著作権は制作プロダクション側の管理だった、と主張していますが、少なくとも、1963年の時点では、フィルム制作でもアニメに限っては、著作権を売り渡すほうが主流だったわけですから。後発の虫プロに対して、「今までのTCJはこうだったから」という理由でテレビ局側が著作権を求めてくることは考えられたわけですし。
手元ですぐに出せる資料では、『日本のアニメ全史』(山口泰男)で、アトムをNBCに売ったとき、手塚が買い取りではなくプロダクション名やスタッフ名を表記させる方式にさせたことはわざわざ記載してあります。またこの書籍には言及がありませんが、ジャングル大帝はアメリカ資本で制作されていますが著作権は虫プロ側が持っています。Modeha 2006年3月21日 (火) 08:21 (UTC)
- 話がまとまりにかけるので、要点をまとめましょう。アニメ作品に限らず、テレビでは虫プロ以前から松崎プロのような弱小プロでも著作権が認められ、虫プロは何ら画期的ではありません。虫プロが画期的だったのは、マーチャンダイジング収入に頼る制作だったというのがアニメ史上の評価です。そしてマーチャンダイジング収入に頼ることは既に項目に書かれています。文献でもこの点について触れることはあっても、著作権を売り渡すかどうかフジテレビ側と交渉があったかについて触れるのを見たことはありません。制作にTBSが大きく関与していたTCJという明らかな例外を持ち出して、「他のプロダクションには、著作権自社管理作品とテレビ局管理作品が混じっているが」とModeha氏が思われるのは結構ですが、Wikipediaが自説の主張の場ではない以上、アニメ史においてもテレビ史上においても評価されていないことを特筆する必要があるとは思えません。なお、宣弘社は広告代理店でしたが、当時は番組制作も行なっていたというだけです[3]、[4]。映像制作の能力は映画会社と比較にならず、虫プロが漫画制作プロダクションだったのが、テレビ番組制作に乗り出したのと同じようなものです。
- 誤解されているようですが、「1963年の時点では、フィルム制作でもアニメに限っては、著作権を売り渡すほうが主流」というのは誤りです。番組制作とCM制作を同列に扱うのはいくらなんでも乱暴でしょう。虫プロも東映動画も、1964年1月開始にピー・プロも自社で権利を持っていて、TCJだけが別だったというだけです。先に述べたように、「エイトマン」から「スーパージェッター」あたりまではTCJの作画から撮影を担当しただけで、企画と脚本と演出、編集と音入れはTBSの担当であって、完成したフィルムをテレビ局に納入する形の他の制作プロダクションとは明らかに異なるのは前述しているんですが、それは無視されるんでしょうか? 前提からして間違ってる上に、TCJという例外を持ち出して、「1963年の時点では、フィルム制作でもアニメに限っては、著作権を売り渡すほうが主流」という結論を述べるのは強引ではないでしょうか。テレビ局にとってTCJは下請けですが、他の制作プロダクションは外注という位置付けです。TCJというのはそういう立場でしたら、売り渡すも何も著作権をTBSが持ったのもおかしな話ではありません。--Wing09 2006年3月21日 (火) 17:48 (UTC)
どうも議論がすれ違っているようですが、私が先日から言っているのは、虫プロはTCJのように、CM用アニメを作って著作権ごと売る商売には手を出さなかった、虫プロはTCJのように、動画だけ描いてくれあとはこっちでやる式の企画には手を出さなかった、常に「虫プロ」という名が出るプロジェクトにしか参加しなかった、という意味です(正確には1971年の手塚治虫の社長退任までの方針ということになりますが)。著作権を決して売り渡さなかった、というのはそういう意味です。方式が違うのだから、TCJが著作権を持たないのは当たり前、というのではなくて、TCJのようなビジネスモデルを虫プロはとらなかった、そして、タツノコなどの後発プロダクションは、TCJ方式ではなく、虫プロ方式をとった、ということです。そして、そのモデルの中には、マーチャンダイジングを含むのは当然ですが、「方針として著作権を売り渡さない」、という部分も含まれる(もっともそうでなければマーチャンダイジングが成り立ちませんが)という意味です。それと、劇映画は著作権プロダクション持ち、ということを再三、前提とされていますが、果たして1962年末の時点で、虫プロの30分もののアニメ作品が、劇映画として受け入れてもらえるものなのか、逆に、(のちのTCJ作品のように)30分に及ぶ巨大なテレビコマーシャルのような扱いをされるのかというのはまだはっきりしていなかった時代のはずです。現代から見れば、「劇映画は著作権はプロダクション持ち」なのは当然なのかもしれませんが、当時は前述のとおり、広告代理店が番組製作を実質主導している作品もあったし、そういう意味ではまだ混沌の時代です。私のようなことは誰もいっていないとはおっしゃられても、少なくとも手塚本人は、アトムを海外に売るとき、常に虫プロの表示を出させるようにした、ワンカットでも切り張りする場合は必ず虫プロの許可をとらせるようにした、というのはわりと誇らしげに書いてますし、それに対してあんたの手柄じゃないという反論もないのも事実です。ジャングル大帝も、パイロット版で1話だけつくって、それをNBCに見せて向こうが出資するといった時点で製作が決定したわけなのに(スポンサーの三洋電機の広告と日本国内のマーチャンダイジング収入だけでは、連続カラーテレビアニメを製作できるだけの資金には不足していた)、それでも著作権を売り立たさず、自社で著作権を持つ形にこだわった(別にアメリカでマーチャンダイジングをするつもりでもないくせに)のも事実です。虫プロ以後、アメリカ向けに輸出された作品はありますが、ご存じのとおりガッチャマン(これもタツノコですね)やロボテックのように、ずたずたに切り張りされてしまったものが非常に多いです(それは当時、海外でのマーチャンダイジングを考えていなかった、というのもあるでしょう)。ただ、虫プロは、たとえ海外輸出のときでさえも、自社が著作権を持ち、フィルムにハサミを入れる権利は捨てなかった、そして、必ず「虫プロ」「Mushi Pro」の名を出させるようにした、というのは特筆してよいでしょう。Modeha 2006年3月22日 (水) 11:26 (UTC)
追記。もういちど念のために書いておきますが、制作プロダクションが著作権を持っている作品が当時あるいはそれ以前からあることは否定していません。松崎プロダクションが自社制作番組の権利を持っているのは事実でしょう。ただ、果たして松崎プロダクションは「著作権をうちが持つ形でない限り制作しない」と突っぱねたのか、たまたまいろいろな都合で松崎プロダクションが著作権を持つ形になったのか、どちらなのか、という意味です。別に虫プロ以前に制作プロダクションが著作権を持つ形の作品がなかったとは言っていません。ただ、虫プロは、自社で著作権を持つ形でないプロジェクトには一切参加しなかった、そして、それによってマーチャンダイジングが成立した、という意味です。アトムがうまくいった、じゃあ次からはマーチャンダイジング収入はテレビ局が全部持っていくようにして、制作プロダクションは動画を描くだけの下請けにさせ、そのかわりに制作費を倍額にしよう、というビジネスモデルもあったはずです。そしてTCJ方式はそうだった、しかしそれは主流にならなかった。少なくとも、TCJ方式をとるプロダクションは、TCJよりあとには現れなかった。そして、虫プロ方式のマーチャンダイジングが(旧虫プロ倒産後の現在まで)その後の主流になった、という意味です。
なので、「虫プロは著作権を売らなかった」というのはおかしな表現ではありません。Modeha 2006年3月22日 (水) 11:45 (UTC)
- 虫プロが『鉄腕アトム』の世界配給権をNBCへ売っていたとの記述が、かつて虫プロ文芸部にいた豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』にありました。ドイツやメキシコでアトムが放映されても虫プロには収入が入らなかったそうです。また、手塚治虫が誇らしげに編集権を虫プロが持っていたと言っていたのもカラクリがあって、NBCとの契約はアメリカですぐ放映できるような状態での納品するということになっていたそうです。つまり英語吹替も虫プロ持ちで、アメリカの放送コードに触れるような部分の編集の費用も手間が虫プロ持ち。実際は吹替の費用は放映料から相殺されていて、契約違反があれば違約金を取られたとのこと。手塚治虫の説明は、事実として間違っていませんが、一面的で誤解を招きかねないものであるのは確かでしょう。
- あと、倒産間近の虫プロがこれまでの作品の権利をヘラルドに売ったことが『日本アニメーション映画史』にあります。
- 『リボンの騎士』も海外での配給権を虫プロが売ってしまったことは前にも述べたと思いますが、これはアニメージュが虫プロに問い合わせたところによると、昭和40年代で手塚治虫が退任した後かも知れません。
- マーチャンダイズ収入に関しては、『図説・鉄腕アトム』の収録されているアトム放映雨の手塚治虫インタビューで、予期しなかったものでなく、ディズニープロに倣ったものであることが述べられています。とりあえず以上の事実を反映させます。--Wing09 2006年9月27日 (水) 10:43 (UTC)
[編集] CM制作とテレビ番組制作は別物です
Modehaさんがおっしゃるように、「虫プロは著作権を売らなかった」はおかしな表現でもなければ、事実に反しているわけでもありませんが、虫プロ以前のテレビ業界の通例であって、わざわざ特筆すべきことではない、ということです。虫プロが当時のテレビ業界の趨勢に反して、制作プロなのに著作権を持ったのがエポックメイキングだと指摘する文献でもあるんでしょうか。マーチャンダイジング収入については触れても、著作権をテレビ局と虫プロとでどちらが持つか問題になったような事実があれば教えて下さい。ないのなら、「自説の主張」と判断します。
うーん。それと、最初の記述から、話がずれてきていませんか。最初の記述は「、テレビ番組の著作権は放映する局がすべて買い上げるのが通例であった」「(虫プロに)テレビ局側が例外的にこれを認めたため」などとあったのは誤りであるとして、自分は編集でカットした。ところが、Modehaさんは復活させた。では、「この記述が正しいのか?」となると、Modehaさんは「買い上げが通例」とする根拠を明示しない。それどころかいつの間にか「制作プロダクションが著作権を持っている作品が当時あるいはそれ以前からあることは否定していません」と主張を変えて、「TCJ方式」なる聞いたこともない造語でCM制作とテレビ番組制作を混同した議論を組み立てるばかりです。TCJはCM制作会社なのだから、実写と同じくアニメでCMをやるのは何ら不思議ではありません。東映動画やピー・プロ、虫プロと違って、TCJはCM制作が主力だったいうことを意味してるだけではないですか。そして、海外輸出の話に持っていく。通例ではないことはこれまでに説明したとおりです。TBSが大幅に関与して制作にも演出などで主導権を握っていた『エイトマン』『スーパージェッター』は、TCJの権利がなかったんですが、(エイトマンはTBSと平井&桑田、スーパージェッターはTBSにマルシー)、電通主導の企画でフジテレビが制作にあまりタッチしてない『鉄人28号』に関しては、TCJ(エイケン)と横山光輝のプロダクションに著作権表示があります 。参照元気は、個人サイトですが、おそらくDVDの著作権クレジットなどを参照したのでしょう。1960年の中小プロダクションの松崎プロ制作の実写版『鉄人28号』にも、松崎プロの著作権表示があります。繰り返しになりますが、『月光仮面』についても制作会社としては何の実績もない宣弘社が権利を持っています。テレビ局外部の制作プロが作ったテレビドラマ、いわゆるテレビ映画は、映画会社が中心に開局したCS局でもコンテンツになっているように、ほとんど制作会社側が権利を持っているんです。編集でカットした「この後もアニメ番組に限っては制作プロダクションが著作権を保持したまま、放映権のみをテレビ局に売るというスタイルが確立することにもなった」と部分は誤りで、アトム以前から実写でも制作プロに映画の著作物の権利は認められたということです。
虫プロ以前からテレビ番組については制作会社に権利が認められていて(CMの話をしているのではありません)、TBSでのTCJの仕事が例外的だったということですから。これ以上は議論のための議論にしかなっていないでしょう。そもそもModehaさんの主張が大幅に後退してるんですから。TCJがCMで著作権を売り払っていたというのは、テレビ番組の制作とは全く別のCM制作の話であって、それを反例に持ち出したところで意味がありません。ちなみに、テレビCMの著作権、自分も興味が出てぐぐってみたんですが、制作会社とクライアントとの間のどちらにあるのか、解決せず、92年合意とやらで暫定的にうやむやのままなそうですが、TCJが権利を売り払ったのですか?
あと、海外売りの話も日本国内のテレビ局と間の話ではない余談になってます。こちらについては、確かにModehaさんが言ってるとおりでいろいろな資料で触れられていますし、『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』を海外市場に売り出したことが、そして、『2001年宇宙の旅』『ミクロの決死圏』の逸話が出来たという、虫プロのテレビアニメ海外輸出のおかげで、手塚治虫が国際的に知られることになったという経緯は、マーチャンダイジングなどのビジネス論とは別に触れてもいいと思いますが、日本のテレビ局に権利を売らなかったのが特筆すべきことの補強になるとは思えません。日本国内では既に虫プロ以前から前述のように制作会社に権利があったんですから、カットした部分のような日本のテレビ局との混乱を招くような記述であってはいけないでしょう。むしろこの海外輸出の際の氏名表示権については、虫プロというよりも手塚治虫の項目の方に記すべきかも知れません。
まあ、それはともかく編集でカットする以前の明らかに謝った記述をそのまま復活させるべきないということでは、合意は得られたものと判断します。テレビ番組制作の話をしているところに、CM制作の話を織り交ぜ、海外輸出の話が反論の柱になっている時点で、話が本筋からずれていますし。
テレビ局が全て著作権を持っていくようになったのは、むしろ1970年代以降。民放の合理化による、テレビ局系の制作プロダクションが生まれて、バラエティー番組などの下請けをするようになってからではなかったかと思うんですけど。ストーリー性のあるドラマ、アニメなどの劇作品は制作プロに著作権があるのは一貫した流れであるはずです。--Wing09 2006年3月22日 (水) 13:41 (UTC)
どうも未だに話がかみ合いませんが、「通例」とかいうところは別に消してもかまいません。ただ、虫プロは、著作権を売り渡さないことを主義にしていたプロダクションだったというところは特筆すべきところだと述べています。TCJの話はしたし、TCJがCM制作が主だったプロダクションだというのは書きましたが、TCJはそれまでのCM制作時代の契約からのなりゆきで、テレビアニメでもCM制作時に近い、著作権を売り渡す契約になったのだろうということは書きました。松崎プロが自社制作作品の著作権を持っていることは否定しないが、松崎プロが「著作権がこちらに残らないのならやらない」といったのかというとそういうわけではないでしょう。それに、それ以外のプロダクションの全部が全部そうやって著作権を「勝ち取った」わけではないでしょう。ただ、虫プロのマーチャンダイジングは、自社で著作権を管理することが大前提のシステムなわけです。それに、ピープロや東映動画もこの時代にはまだ大規模なマーチャンダイジングはやってない。狼少年ケンでグッズが売れまくって儲かったという話は聞かないし、逆に、こういうやり方では儲からないから、虫プロ式のグッズが売れる形のキャラや企画を立てなきゃならんみたい会議を当時の東映動画がやってるわけです。東映動画はもちろん、著作権をテレビ局には売りませんでしたが、初期にはそれはマーチャンダイジングを意識していたわけでは(たぶん)ない。ただ、虫プロのビジネスモデルは、版権自社管理でないと成立しないモデルなわけです。東映動画のマーチャンダイジングが活発化するのは1965年のレインボー戦隊ロビンあたり(あるいはその少し前)からでしょう。虫プロのマーチャンダイジングが画期的だったというのは既に述べられているとおり定説です。ただそれは、著作権自社管理でなければ成立しない、というのも事実です。そして、1963年当時、アニメ制作の主流が、虫プロ方式になるのか、TCJ方式(という言い方はお嫌いのようですが)になるのかは分かってはいない。虫プロが出てこなかったら、永遠にTCJ方式のアニメしか制作できなかった可能性は非常に高いわけです。当時テレビで継続してアニメをつくってたのはTCJのほかはおとぎプロくらいでしょう。あとはNHKみんなのうたの個人のアニメーターくらい(これについての議論は割愛してもよいでしょう)ただ、おとぎプロは申し訳ないがテレビで成功したとは言い難い。もし虫プロが出てこなかったら、TCJが行ったようにテレビ局の企画でプロダクションは動画だけを担当する形のアニメが主流になっていたら、日本のテレビアニメの本数は今のようには増えなかったし、海外で熱狂的に受け入れられるようなこともなかった、そういう意味で、「著作権はうちが持つ。そうでなければ受けない」式のプロダクションが興きた、(そしてそれが成り立たなければ経営が成り立たないビジネスモデルをつくりあげ、それで10年近く事業を続けた)ことは特筆すべきことでしょう。
たまたま著作権を持つことになったのではなく、「著作権は譲れない」と主張したプロダクションだったことが特筆すべきだと言っているのですがその点が何故理解してもらえないのかよくわかりません。念のために調べ直しましたが、旧虫プロ作品では「ワンダー君の初夢世界旅行」(1969年)という作品は実写との合成でおまけに放映がNHKなので、ひょっとすると虫プロ側には権利がないのかもしれませんが(この作品のみ、手塚プロ公式サイトでコピーライト表示がない)、それ以外の旧虫プロ作品は新虫プロか手塚プロが例外なく版権を今でも持っているようです。Modeha 2006年3月22日 (水) 14:56 (UTC)
[編集] TCJはTBSの下請けに過ぎない
特筆すべきことではありませんね。 長々と書くのもアレなので、箇条書きで。
- 著作権を売り渡さないのは、虫プロ以前からのテレビ業界の慣例である。
- TCJはCM制作会社だったから、『エイトマン』などで権利を持たないのではない。脚本から絵コンテまで、撮影以降の工程を受け持ったのがTBSだったから、権利はTBSが持っているのである。実際、フジテレビの『鉄人28号』では自社で権利を持っている。
- 虫プロのみならず、東映動画、タツノコ、ピー・プロいずれも自社で著作権を持っており、特殊なのはTBSの下請けをしたTCJのみくらいである。
- 著作権を持つことと、著作権を利用してマーチャンダイジングを積極的に行なうかは別の事象である。各種資料でも虫プロについて特筆されるのは著作権を活用したことであって、著作権を持つことそれ自体ではない。なぜなら虫プロ以前から制作会社が著作権を持つことは通例であったから(マーチャンダイジングが意図されないなら、そもそもテレビ局に権利を売り渡せば制作費が多くなるとの先の発言と矛盾しないのか?)。
- 虫プロがマーチャンダイジング収入に頼るモデルを確立したことに異論はない。実際、編集でもカットしていない。
以上です。TBSとTCJの立場を繰り返し説明したはずで、なぜ無視されるのか、さっぱり分かりません。TCJ方式なる言葉がどこから出て来たのか知りませんが、現在で言えば元請けがグロス出ししたようなものです。元請けがTBSでロス請けがTCJで、現在も下請けに著作権が認められないのは全く事情は変わりありません。ついでに言えば、ピー・プロも『鉄腕アトム』で虫プロの下請けをやっていますが、もちろん自社制作と異なり、ピー・プロに『鉄腕アトム』の著作権はありません。
で、「虫プロは著作権を譲らなかった」ことをエポックメイキングとする資料の提示もないわけですね(海外販売の話はもう結構ですので、日本のテレビ局との関係を)。それとTCJがCMについて権利を売り渡した(どこに?)というのは何か根拠があるんでしょうか? Modehaさんの自説の主張でないのであれば、記述するのは構わないと思いますが、現状では自説の主張としか思えません。--Wing09 2006年3月22日 (水) 15:29 (UTC)
おとぎプロの項目で海外は関係ないと言われるのならまだわからんでもないですが、虫プロの項目でNBCから資本を集めた話はしないわけにはいかないでしょう。野茂英雄の項目でドジャース時代の話はこっちに置いておいて、と言っているのと同じです。下請けだから著作権がないのは当たり前なのではなくて、虫プロは決して下請けをやらなかった点と著作権を売らなかった点は、百科事典に書くべき事実だと何度も書いてます。別にエポックメイキングじゃなきゃ書いちゃいかんわけではないでしょう。虫プロが著作権を売り渡さなかったのは事実だし、自身がそう主張していて誤りでないのなら、それは百科事典に書いてしかるべきだし、それが重要か重要でないのかは読者が決めればよろしい。Wikipediaにはエポックメイキング的なことじゃなきゃ書いちゃいかんという取り決めはありません。逆に、それは要らない、というのなら、(私がローマ数字の項目で行ったように)西暦年数をローマ数字で書いた著作権表示や巻数表示はいちいち例示する必要はない、何故なら無数に例があるので、一番古い例であるとか、そういう例に限るべきだ、というような、「書くべきでない」理由が必要でしょう。Wing09氏の記述を読む限りだと、氏は虫プロが著作権を売り渡さない、という方針を持って活動していたことは認めていらっしゃるように見えます。それはそう受け取ってよろしいのでしょうか。ただ、氏は、それは重要でない、と述べています。もちろん、私も、当時からそういう方針を持っていたテレビ番組制作プロダクションが(ローマ数字の著作権表示のように)無数の例があって虫プロ以前にもいくらでも例示できるというのなら、それは別に百科事典には書かなくてよい(逆に、最初にやったのはここだ、と書くべきかもしれません)と思います。氏が重要でないと主張している理由は、それが重要だと述べた文献がない、ということのようですが、これもそうとってよろしいでしょうか? ただ、それが重要だ、と述べた文献がないことが、百科事典に記載すべきでない理由にはなりません。と、私は述べています。なんなら、「虫プロは著作権をテレビ局に売らなかった。(ただし、それが重要だと述べた文献は当事者の記述以外にはない)」という書き方にでもしますか? もし、そう述べた文献がないことを理由に記述することに反対しているのでしたら、その点に絞って議論しますが。
それと、虫プロ以外にピープロやタツノコや東映動画が自社制作のアニメ作品の著作権を持っていることにも言及していますが、全部、虫プロよりあとに週1回30分番組の制作を開始しています。虫プロに先行してそういうことをやっていたプロダクションはないわけで、「虫プロ以外の例がある」のなら、虫プロ以前のものを出してきてもらわなければ、「それは虫プロに倣ったのだ」と言われてもしょうがないでしょう。少なくともタツノコとピープロはそうですよね。ただ、虫プロ以前とはいっても類似のものはないですが。
TBSとTCJの関係の話についても何度も説明してますが、何故それを無視していると受け取られているのかよくわかりません。「そういう、テレビ局の下請けをやるアニメのプロダクションは、TCJの後には現れなかった、少なくともそれは主流にはならなかった」んですよね。私はそれは分かっています。今から見れば、そういう請け方は特殊に見えるかもしれない。ただ、1963年当時にどっちが特殊だったのかといったら、虫プロの形態もTCJの形態もどっちも特殊だったでしょう。そして、30分のテレビマンガが、劇映画として受け取られるものなのか、紙芝居と受け取られるものなのかはまだ分かってはいない。虫プロが今から見て特殊に見えないのは、虫プロのとった方式がその後スタンダードになったからです。
まとめるのがお好きなようなのでこちらもこちらなりにこちらの主張をまとめて記してみます。
- 旧虫プロ以前に、制作プロダクションが著作権を持つ形のテレビ番組は存在した。
- 旧虫プロは、著作権をテレビ局に売り渡さなかった。それを方針として10年近く行い、NBCに対してもそれを貫いた。当時、そのような方針を持って契約を行ったプロダクションは、ないか、ごく少数であった。
- これに関する記述は、旧虫プロ主宰者の手塚治虫が述べているが、それは手塚の手柄ではないという有効な反論はされていない。
- 虫プロが著作権を売り渡さない方針を持っていたことを虫プロの手柄だと述べている文献は、当事者以外の記述以外にはない(調べたわけではないので、一応保留にしときますが)。
- TCJはTBSの下請けを行った。
- ピープロ、東映動画、タツノコプロは、著作権をテレビ局に売却しなかった。
- ただし、この3社が週1回30分放映のテレビアニメ制作を始めたのは、旧虫プロ以後である。
Modeha 2006年3月23日 (木) 12:35 (UTC)
[編集] 虫プロは下請けをしないことを方針とした?
宣弘社、松崎プロダクション、その他の映画会社の松竹、東映などの名前を挙げて、フィルムをテレビ局に納入する制作プロダクションに作品の権利があるのが一般的だと説明しているのに、未だにテレビ局が権利を持っているのが一般的だと勘違いされているですね。Modehaさんが挙げた例はTCJのみで、しかもCM制作とTBSの下請けだったこともう説明しているので、反例にはなりません。テレビ局が権利を持っていたのが一般的だったと主張したいのであれば、そういう例を他に挙げてみてください。海外販売がどうの、CM制作がどうのと関係ない話ばかりじゃないですか。TCJがCMの著作権を売ったのは本当なのかどうか根拠があるのことなのか聞いてみても答えない。テレビ局に著作権があるのが一般的だというのは、「虫プロの形態もTCJの形態もどっちも特殊だ」とはあなたがそう思ってるだけで、外部の第3者が確認できる資料はどこにあるのですかね。虫プロが著作権を持ったことが特別なことを示す資料で提示してください。Modehaさんだけがそう言っているだけの、「自説の主張」ではないかとの疑いは深まるばかりです。
制作会社が著作権を持つのは虫プロの功績でも特例でもなく、虫プロ以前からテレビ局の慣例だという可能性も十分にあり、虫プロの特徴として評価して特筆することには反対します。
虫プロが決して下請けをやらなかったというのも思い込みの可能性が高いようですね。草薙聡志の「アメリカで日本のアニメはどう見られてきたか?」を読み返していたら、虫プロは下請けをやっていたようです。Modehaさん流の言い方をすると、著作権を売り払ったとか、「TCJ方式」とでも言えばいいんでしょうか。単なる下請けで、もちろん権利は虫プロにありませんが、
- 1967年 ABC「The Reluctant Dragon and Mr. Toad」 17話 ランキンバス
- 1967年 ABC「The Mad, Mad, Mad Comedians」 1話 Bruce Stark Production
- 1972年 シンジケーション 「Festival of Family Classics」 全18時間 ランキンバス
それから虫プロが関知しないところで、アメリカで再編集された『リボンの騎士』の長編アニメ版が、1980年代に日本に逆輸入されたそうです。確かアニメージュの記事にありました。
ですから、「旧虫プロは、著作権をテレビ局に売り渡さなかった。それを方針として10年近く行い、NBCに対してもそれを貫いた。当時、そのような方針を持って契約を行ったプロダクションは、ないか、ごく少数であった」というのは誤り。
既に触れられているように、日本国内でも『ムーミン』『アンデルセン物語』といった下請け作品があるし、Modehaさんが言うにはNHKの下請けもあったようですね。例外が多過ぎますね。設立当初のほんの2~3年間は、「下請けをやらなかった」と限定させるなら、タツノコプロ、東京ムービー、東映動画だってそうであり、虫プロに限った話ではありません。
「虫プロが著作権を売り渡さなかった」というなら、TCJだって制作作品の著作権はエイケンにあり、著作権を売り渡していません。TBSも売り渡さなかったのでしょう。今でもTCJやTBSに作品の権利があります。東映動画作品だって、海外での権利は東映動画が持って、販売や放映を許諾しているわけです。まさか、虫プロ契約に氏名表示権を盛り込んだということを指して、「著作権を売り渡さなかった」とでも言うんでしょうか。--Wing09 2006年3月23日 (木) 13:34 (UTC)
何度も書いてますが、制作会社が著作権を持っている作品が虫プロ以前に存在したことを否定してはいません。ただ、アニメの著作権を制作会社が持つ形がスタンダードになったのは、虫プロの影響だといっているのです。その前は、全部自分でやって、著作権を持つ形でのアニメ制作は、テレビでは行われていなかったわけですから。企画も脚本も動画も彩色も撮影も録音も全部自分のところでやって、著作権は自社で持つ。それは別に虫プロ以前のテレビ映画でも行われていたといわれていますが、アニメに関してはまだ例がない。テレビアニメのプロダクションが動画と彩色のみの下請けで始まったのではなく、自社で著作権を持つことを主義としたプロダクションが始めたというところが重要でそれは百科事典に記述すべき事実だろうと述べています。企画から何もかもだから著作権自社管理なのは当たり前、なのではなくて、企画から何もかもと著作権も自社持ちであることを前提としたプロダクションが、最初のテレビアニメシリーズを作った、というところが百科事典に記載すべき事実だと言っているのですが、どうしてもその部分は理解していただけないでしょうか。
海外向けの18時間の作品の話は知っていましたが、いくら何でもオリジナルでつくったにしては長すぎるのでアンデルセン物語の再編集か何かかそうでないのか調べようとしてまだ手をつけていなかった部分です。どちらにしても1971年に手塚治虫は虫プロ社長を辞していますのでこれはそれ以降の作品ですね。残りは「ワンダー君の....」のような実写合成なのか、そもそも1話がどれくらいの長さだったのかとかそういうところがまだ調べ切れてません。すいません。片方はランキンバスなので実際に虫プロが著作権を持っていない可能性はあると思います。リボンの騎士もオーストラリア公開が1972年ということなので、これも虫プロから手塚が実質的に退いた後の、プロダクションが変質していった時代のものですね。ご指摘の著書は持っています。ただ、あれをごらんになられたのなら、手塚が著作権にこだわった理由の一つが、東映動画版西遊記がアメリカ輸出の際に(手塚の思いに反した)大規模な改変が行われたことへの不満であるというのは分かると思いますし、それが後にアニメ作品の著作権を自分で持つ形にこだわった一つの理由になっているということは分かっていただけると思います。Modeha 2006年3月23日 (木) 14:43 (UTC)
- また主張が後退したのでしょうか。「虫プロは下請けをやらなかった」は撤回ということでよろしいのですね。なるほど。「アメリカで日本のアニメはどう見られてきたのか?」はお持ちだったと。それを読んで実際にはランキンバスの下請け仕事をやっていた事実を知っていながら、「虫プロは下請けをやらなかった」という自説を主張していたんですね。で、こちらが指摘するまで知っていながら、伏せていた、と。計18時間のシリーズは『アンデルセン物語』ではありませんよ。それに手塚退任以前の1967年(準備を含めればもっと前でしょう)の下請けについては無視ですか。それに本項目は手塚治虫に関する記述をするのではなく、「虫プロダクション」に関して記述するのです。またまた主張が変わってますよね。以前は「放映権以外は一切売り渡さないという方針をたてて長期間(約10年)活動し、それが容認されたプロダクションという意味では、やはり虫プロダクションはパイオニア」と要っていたのに、『アンデルセン物語』『ムーミン』、18時間のテレビシリーズを指摘されると、今度は手塚退任以後だからと区切ってくる。さて、編集対応でカットした部分をもう一度見てみましょうか。「虫プロダクションは、作品の著作権を決してテレビ局に売らなかった」「当時から、テレビ番組の著作権は放映する局がすべて買い上げるのが通例であった」「自身の作品でもあるアニメ版鉄腕アトムの著作権を売り渡すことに手塚が難色を示したためといわれる」(誰が言っているのですか?)「テレビ局側が例外的にこれを認めた」「この後もアニメ番組に限っては制作プロダクションが著作権を保持したまま、放映権のみをテレビ局に売るというスタイルが確立」。議論を通じた結果、Modehaさんの言っていることは、当初からどんどん違ってきており、結果としてこれらテレビ局との関係で事実に反した記述をカットしたのを認める結果になったと思われます。海外輸出の際の改変の話については特に異論はないので、記述のカットとリバートの大元になっている日本のテレビ局との関係について話を絞りましょう。それはそうと、何度も尋ねてますが、92年合意というのがあるにも関わらずTCJがCMの著作権を売ったという根拠はまだお聞かせ願えないんですね。まあ、お話しできないのなら、それで結構なんですが、「アメリカで日本の~」での件といい、こんなことが続くようだと、Modehaさんに不信感を持ちかねませんね。--Wing09 2006年3月23日 (木) 15:27 (UTC)
節タイトルに最初に書いたとおり、「テレビ局」に著作権を売らないという言い方はしましたが、他のプロダクションの下請けをしなかったとは言っていません。それはこの議論では最初から変わってませんよ。ズイヨーの下請け的なことは行っていたんだからランキンバスの下請けをしていてもおかしくはないでしょう。ABCから直接請けてさらに著作権を売ったというのならまた別ですが。それに、ワンダーくんに関しては正月特番、それも20分単発番組で、どうもアニメパートと世界各地の映像を合成するというものだったようです。手塚プロのサイトにはコピーライト表示なしで紹介されていますが、逆にいうと(C)NHKとも書いてありません。(何故か、虫プロのサイトには表示がありません)
92年合意というのは、Wing09氏の説を補強するのにはとても使えそうにないと思ったので触れずにきたのですが、そういうのでしたら記しておきます。92年合意はむしろ、私の主張を補完するのには使えますが、氏の説の根拠とはなりえません。つまり、92年までは、テレビCMはなあなあの著作権がどこにあるのかも分からない状態で39年間、プロダクションもクライアントも仕事をし続けてしまった、ということですよね? ということは、1963年当時のTCJも、自身に著作権があるのか、クライアント側にあるのかうやむやのままテレビCMをつくっていた、という意味になるのではないのですか? そして、そんなうやむやのままテレビCMをつくっていたTCJは、テレビ番組の下請けをしたときもやはり著作権に関してはうやむやのまま請けてしまい、他プロダクションがマーチャンダイジングで生計を立てているのを横でみているしかなかったわけです。それはほかのプロダクションについてもあてはまって、確かに当時のテレビ番組で、当時からずっと著作権をプロダクションが持っているものは存在はしたが、それは10年、20年経ってから契約書の山を掘り返して「どうも、20年前につくったあの作品、うちが著作権を持っているらしいぞ」というような認識のプロダクションが多かったし、さらに、契約書をきちんと交わさずに、10年、20年経ってからプロダクションの社長とテレビ局の版権部の人が弁護士の立ち会いの下、「では、この作品とこの作品に関しては、最初から著作権はプロダクション側にあった、ということにいたしましょう」というやりとりがあったはずです。92年合意は、逆にそういう事態が起きていたことを示唆しています。だから、今でも「どこが著作権持っているのかはっきりしない」という理由で再放送・ソフト化できない作品があるわけですよね。
著作権を持っていた、持っていなかった、という部分にこだわっていらっしゃるようなので、そういうことならば、「1963年当時、著作権に関してはうやむやのまま制作される番組が少なからずあった。しかし、旧虫プロは、当初から著作権を主張し、テレビ局が全著作権を買い上げ、自身に権利が残らない形での下請け的な作業は行わないことを主義として活動を行った」くらいにするのならどうですか?
それと、何故、海外の話を拒絶されるのか何度も書きますがよくわかりません。旧虫プロは海外輸出がなかったら、超赤字ですぐにでも倒産しておかしくないようなプロダクションだったのだから、それは「虫プロダクション」という記事の中ではきちんと触れておくべきだと考えます。Modeha 2006年3月24日 (金) 10:30 (UTC)
[編集] 独自の研究や自説の主張は不要です
以前、Modehaさんはこうおっしゃった。
- 「私が先日から言っているのは、虫プロはTCJのように、CM用アニメを作って著作権ごと売る商売には手を出さなかった」(2006年3月22日 (水) 11:45 (UTC)
- 「TCJはそれまでのCM制作時代の契約からのなりゆきで、テレビアニメでもCM制作時に近い、著作権を売り渡す契約になったのだろうということは書きました」(2006年3月22日 (水) 14:56 (UTC))
はっきりと、Modehaさんは、TCJはCMを著作権ごと売り渡したと書いてますね。そこで、CM製作会社とクライアント等の間では著作権の帰属で問題が生じており、92年合意という暫定的な処置でCMの利用がなされていることを知り、本当にTCJはCMの著作権を売っていたのか、Modehaさんの根拠を示すようにお願いしたところがこの返答です。
- 「自身に著作権があるのか、クライアント側にあるのかうやむやのままテレビCMをつくっていた、という意味になるのではないのですか? そして、そんなうやむやのままテレビCMをつくっていたTCJは、テレビ番組の下請けをしたときもやはり著作権に関してはうやむやのまま請けてしまい、他プロダクションがマーチャンダイジングで生計を立てているのを横でみているしかなかったわけです」(2006年3月24日 (金) 10:30 (UTC))
TCJは売り渡していたのかどうかはっきりしないのですね。要するにModehaさんがこれまで主張していた「TCJがCMの著作権を売り渡していた」というのは、Modehaさんの思い込みだったわけです。違うんですか? それとも未だにCMの著作権をTCJが売り渡したとおっしゃるのですか。議論なんですから、途中から主張を変えるのでしたら、己の主張が間違っていたことを認め、うやむやにすべきではありません。
Modehaさんの議論の仕方はこれまで突っ込まれると、誤りを認めず、主張を少しずつ変えていく。ずっとそうでした。「旧虫プロは、著作権をテレビ局に売り渡さなかった。それを方針として10年近く行い」というのも反例が提示されると、手塚の退任以降は話は別として、「それを方針として10年近く行ない」という主張を変える。虫プロが下請け作業をしていた実例が示されると、納入先がテレビ局ではないと言いますが、
- 「私が先日から言っているのは、虫プロはTCJのように、CM用アニメを作って著作権ごと売る商売には手を出さなかった、虫プロはTCJのように、動画だけ描いてくれあとはこっちでやる式の企画には手を出さなかった、常に「虫プロ」という名が出るプロジェクトにしか参加しなかった、という意味です(正確には1971年の手塚治虫の社長退任までの方針ということになりますが)。著作権を決して売り渡さなかった、というのはそういう意味です」(2006年3月22日 (水) 11:4))
と、Modehaさんは発言された。テレビCMはテレビ局相手の商売ではなく、クライアントを相手にします。つまりこの発言をした時点で、Modehaさん自身がテレビ局に限定した話をしていないわけです。納入先に関係なく、著作権のあり方を論じていたのではないのですか。
次にModehaさんは海外の話を拒絶されるのが分からないと言ってますが、こちらが編集でカットしてModehaさんがリバートした部分は国内のテレビ局との関係です。これが議論の発端であり、本論です。誤りを認めたくないからといって、話のすりかえをしないようにお願いします。あの「2006年1月16日 (月) 10:29 」に加筆された記述、手塚治虫の「ぼくは漫画家」の「S・キューブリックからの手紙」の節を思い切り誤解して、拡大解釈したようなフシがあるんですよね(手塚の原文では海外販売のことと限定し、日本では著作権を従来はテレビ局が持っていた云々の記述はない)。海外での権利について自体は、海外のクリエイターに手塚の存在を知らしめるきっかけになったこともであり、記すことに反対はしません。ただ、製作のクレジットについては、これが異例なことだったかどうか、手塚の発言くらいしかなく、第3者の検証を経ていないため、手塚治虫が「ぼくは漫画家」でそう主張したと付記すべきだとは思います。
で、何度も言うようですが、Wikipedihaは自説の主張の場ではありません。自分もそんなに文献をしらみつぶしに調べたというほどではないんですが、読書の範囲では、『鉄腕アトム』と虫プロについて、日本のテレビ局と著作権の持ち方について評価する記述は読んだことがありません。実写のテレビ番組に限らず、海外のアニメ、東映動画の劇場用アニメをテレビにかけるときも、おそらくテレビ局は放映権を買うだけで、著作権まるごとを買うことはしなかったでしょう。『鉄腕アトム』もテレビオリジナルというだけで、テレビ局の意識としては、それら海外のテレビ番組や、劇場作品を購入するのと同じだったかも知れません。また、アトム以前のおとぎプロの『インスタント・ヒストリー』やTCJの『仙人部落』がどういう契約になっていたのかもよく分かっていません。限られた周辺情報でもって推測して記すのは「独自の研究」です。テレビ業界の慣習だったのか、虫プロの功績なのかは、参照可能な第3者によって既になされた研究を確認してからでも遅くはないでしょう。それまでは、版権収入やバンクシステムといった虫プロに関して評価が確定した事実を記すので十分かと思われます。Modehaさんのおっしゃる「旧虫プロは、当初から著作権を主張し、テレビ局が全著作権を買い上げ、自身に権利が残らない形での下請け的な作業は行わないことを主義として活動を行った」という記述は、(日本では)TCJのようなあり方が例外だったため、特筆する必要はありません。後の大手アニメ制作会社はほとんどそうですし、虫プロ以前からテレビ業界では制作会社が著作権を持っていたことが多かったからです。--Wing09 2006年3月24日 (金) 13:35 (UTC)
「著作権をテレビ局に売らず、自ら管理するシステムをつくりあげたのは旧虫プロの功績である」と書いたら、それは独自の研究でしょうね。しかし、私が書いた、あるいは書こうとしているのは、「旧虫プロは、テレビ局に著作権を売らず、自ら管理した。海外に『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』を輸出した際も、著作権は売り渡さずに配給方式をとり、クレジットに虫プロの名とスタッフ名を明記させ、編集には虫プロ側の許可をとらせる方式にした」くらいです。虫プロの功績だ、と書いたらそれは独自の研究かもしれませんが、虫プロの功績だなどと私は書いてないし書くつもりもありません。事実としてそう書くだけならそれは独自の研究ではありません。何度も書きますが、功績だ、と書いた文献がないのなら、「功績だ」と書かなければよいだけです。「虫プロは1961年に創設された。当時の名は手塚治虫プロダクション動画部だった」と書いたら、「確かにそれは事実だが、 1961年に創設されたことを虫プロの功績だと書いている文献はない」、とかいう理由で消去なさるつもりでしょうか?
それと何度も書いてますが、日本のテレビアニメが、テレビ局が「よし、どこの局もやってないテレビアニメをつくろう。社員のこれとこれをプロデューサーとディレクターにして、どこそこプロに作画をやらせよう」式で始まらずに、(一般の映画などと同じように)プロダクションが作品をつくってテレビ局に納品する形で始まった、というのは事実だ、そしてそれを最初にやったのは旧虫プロだ、というのも言っているのですが、それもまだわかっていただけませんか? そうなる可能性はありすぎるほどあったわけですよね? そして、30分週1回放映というスタイルでは始まらなかった可能性も大いにありすぎるほどあったわけですよね? 一般的な30分週1本なんて、とてもそこまでの仕事を請けられる動画プロダクションなんかない。少なくとも当時は。じゃあ、たとえばプロダクション4社に分散して下請けさせて日本昔話の違うエピソードを別々に作らせて次々に放映させるようにしよう。15分番組くらいなら動画プロダクションも体力は持つだろう。再放送のときは組み合わせて30分番組にすればよいのだから。そうなる可能性は十分すぎるほどあった。そしてそうやって日本のテレビアニメが始まっていたら、現代のアニメの形態はずっとずっと違ったものになっていたはずだし、そうならなかったのは、虫プロが、ほかの番組と同じように30分週1回でやれます。と言い張ったからです。そもそも、30分という当時テレビで標準的な時間で連続アニメをつくったのも、虫プロが最初のはずです。この部分は私以外の人がそう言っているし特に反論もないはずなので書いてもかまわないでしょう。Modeha 2006年3月25日 (土) 09:38 (UTC)
- うーん。何度も同じことを言わせないでほしいんですがね。Modehaさんがリバートして復活させた記述は、
-
- これまでテレビ局が制作会社に著作権を認めた例はなかった。
- テレビ局が虫プロに著作権を認めたのは例外。
- アニメに限って著作権が認められたのは、虫プロの功績である。
- というものなんですが。これを私は「事実に反する記述」としてカットした。ところが、それをModehaさんはリバート。編集対応もせず、リバートしたのはModehaさんなんですが。
- 「私が書いた、あるいは書こうとしているのは」とModehaさんが言ってる2006年3月25日 (土) 09:38の書き込みとは随分違うんですね。じゃあ、なぜこんなModehaさんの意見と食い違う記述をそのままリバートする必要があったんですかね。この記述に同意だから、リバートしたんじゃないですか。そこらへん、はっきりして下さい。そもそもの発端はこの記述をリバートするかそのまま残すか、それが問題なんですから。
- それと、30分1回のテレビシリーズという形を作ったのが虫プロだというのは否定していませんよ。ただ、30分週1回というスタイルで放映が始まらなかった可能性があったも何も、その前におとぎプロが実質1分のテレビシリーズを開始していて、テレビアニメシリーズ第1号はおとぎプロ作品というのは歴史的事実ですから。ただ、くどいようですが、テレビ局がテレビ番組の著作権をまるごと買わずに放送権だけで満足していたというのは、テレビ業界の慣例だったかも知れません。虫プロがマーチャンダイジングを前提に制作したというのと、虫プロが著作権を持つ形で番組制作をしたのが異例だったかというのは話は別です。豊田有恒の証言にあるように、TCJがTBSの下請けだった『エイトマン』や『スーパージェッター』でも商品化権料はTBSに入らず、平井&桑田の原作者や、久松文雄と脚本家グループの権利だったそうです。TBSが商品化権料に関心を示したのは、その後だったとあります。そして、『鉄腕アトム』より前に放送された『月光仮面』も映像の権利とは別に商品化権料が制作プロに入っていました。『月光仮面』のメンコにはテレビ局のクレジットはなく宣弘社の許諾と印刷にあります。宣弘社のサイトには見過ごしたとありますが、いちおうライセンスは宣弘社が所有していたわけです。
- で、Modehaさんが言うような「テレビ局が著作権を持った形で、制作会社は何の権利を持たない可能性でテレビアニメの放送が始まる可能性もあった」のか、自分の言うように「制作会社の納入したフィルムの放映権を購入するのがテレビ局の慣習で、虫プロも単にそれに倣ったに過ぎない」のか。宮崎駿なんかは、手塚治虫がダンピングしなければもっとマシな制作条件になったと有名な発言をしてますが、著作権を持った形での制作が特筆すべきことなのか、そうではないのかは既になされた研究・批評に基づいたものであるべきで、評価者が不明なのであれば、独自の研究・自説の主張になりかねないのであって、著作権を持った制作が異例なのかどうかは、記述を控えるのが無難というものでしょう。30分週1回の本格的テレビシリーズを始めたのも、マーチャンダイジング頼りの制作の方は定説化しており、問題ないと思いますが。
- あと、虫プロの語源が蒸し風呂っての、あれ手塚治虫のジョークのはずですが、問題ないんですかね。Modehaさんが書いたかどうか確認してませんけど。--Wing09 2006年3月26日 (日) 14:31 (UTC)
宣弘社の話をたびたびされていますが、それがどうしてWing09氏の説の補完になるのかまるで分かりません。何度も書きますが、宣弘社はテレビ番組制作プロダクションではなくて、広告代理店です。あるいは、テレビ番組制作部隊を持った広告代理店です。現在は社名も変わって形態も変わっているようですが、少なくとも当時、宣弘社は自社が広告代理店だと思っていたし、テレビ局もそのつもりでつきあってました。テレビ局と広告代理店の関係と、テレビ局と番組制作プロダクションの関係は全くといっていいほど違うのはおわかりになっているはずです。どんな大きな番組制作プロダクションでも、間に博報堂なり電通なり代理店をひとつはさまないとテレビ局と直接交渉というわけにはいきません。しかし、宣弘社はいくら規模が小さかったとはいえ広告代理店。番組制作部隊とテレビ局がある意味直接交渉できるという特殊な環境にあったわけですから、氏の説の補完になるとは思いません。氏はTCJは特殊だとか特別だとか例外とかいっておられますが、広告代理店が直接番組を制作した宣弘社のほうがはるかに特殊な例外でしょう。それに、例示されたメンコを何の根拠にされたいのかもわかりません。そもそも、宣弘社は、権利はあった、ただ、行使はしなかった、んですよね。このメンコは、ライセンス料無料の正規ライセンス品なんですか? それとも、宣弘社の名を勝手に騙ったものなんですか? それとも、後の時代に復刻するときにライセンスをとりなおしたものなんですか? ちょっとそこが分からないとその部分にはお答えしようがありません。
また、revert部分にこだわっておられますが、全部が正しくないというのは認めます、というのも前に書きました。そのまんまrevertじゃあ問題のある表現だというので、「ではこういう表現ではどうですか?」とお聞きしているのに、意見がどんどん変わる、とおっしゃられるのでは対話が成立しません。
それと、特筆すべきかどうかというのは何度も書くようにWing09が決めることではなくて、記事を読む人物が決めるべきです。私は、著作権を自社で持っていたのが例外だとか異例だとか特別であるとか書くつもりはないし書いてません。そう読めてしまうのでしたら、文章を補ってそう読めなくすればよろしい。だいたい、虫プロが自社で著作権を持って管理したとか、テレビ番組で誰が著作権を持つのが普通なのかということを知っているような人物はWikipediaで虫プロのことを調べようとはしません。権利を持っていなかったのか、持っていただけで行使しなかったのか、積極的に管理したのか、そういうことさえも知らない人物がこの記事を閲覧するのですから、それは書いておくべきでしょう。もしそれが虫プロの手柄のように見えてまずいというのなら、「(著作権を制作プロダクションが持つ形の番組制作は、当時でも特に珍しいものではなかった)」とでも書いておけばよろしい。虫プロより後発のプロダクション、たとえば、タツノコ等だったら、そこまで細かく書く必要はないでしょう。「竜の子プロダクションは、作品の著作権の管理等については、旧虫プロのシステムに倣った」とでも書けばよろしい。何度も書きますが、「株式会社虫プロダクション」と書いたら、当時だってテレビ番組プロダクションが株式会社組織だったのは当たり前だ。そうじゃないほうが珍しいくらいだ。それに、虫プロを株式会社にしたのは事実だが、株式会社にしたことを積極的に評価している文献はない、といって「株式会社」を削除しようとしているのとたいしてかわりはありません。手塚の自慢話(海外でも買い切りではなく配給方式にした)も、「それは手塚の手柄ではない」という積極的な反論がないのなら書いておくべきだし、どうしても信憑性について疑問だというのなら、「当時社長だった手塚治虫によれば、海外放映については配給方式をとり、」とでも書き足せばよろしい。自称日本一、自称日本初はたくさんあって、Wikipediaでもいくらでも例があります。ただそれは「自称日本初」とさえ書けばそれは別に嘘を書いているわけではない。それがWikipediaでの記事の書き方です。蒸し風呂については恐らく冗談なのでしょうが手塚本人の言及なので無視するわけにもいかずに書き加えました。ただ、「恐らく冗談なのだろうが」、と手塚以外の研究者が書いた文献は私は知らないので、そう書き足すわけにはいきません。蒸し風呂はたぶん冗談だという主張をだれかがしているのなら、その主張者の名をつけてそう書く分には問題ないでしょう。
※竹田人形座の人形劇番組「銀河少年隊」のアニメパートも虫プロがやっていて、この番組は製作・竹田人形座・NHKになっているようです。この番組は、人形で表現できない宇宙のシーン部分などをアニメで補完していて、基本的には人形劇番組だったようです。Modeha 2006年3月27日 (月) 13:14 (UTC)
- リバート部分にこだわるも何も、リバートしたのは他ならぬModehaさんです。リバートしたということは、リバートした部分が正しいかどうかは重要でしょう。そこら辺をあいまいにしたまま、Modehaさんが主張を変えるから、こうも話が長くなるわけです。「虫プロ以前はテレビ局が著作権を全て持っていた。アニメと特撮が例外になったのは虫プロ以降である」という記述が誤りであったのを認めて、それをそのままリバートさせたのが誤りだったと最初からModehaさんが認めていれば、それで済んだ話です。
- 宣弘社の話は一例で、東映や松竹その他、松崎プロダクションなどの中小の制作プロダクションの権利がどうなっていたのかは分かりません。資料があるのかどうかすら自分には分からない。ですから、可能性の提示です。もしかしたら虫プロ以前から著作権を制作会社が持っているのは業界では趨勢だったのではないかという疑問ですよ。分からないなら分からないままにしおけばいい、リバート前のような断定的な記述は問題があるということです。もちろん著作権を活用して、マーチャンダイジングで制作費の補填を図ったのがテレビ業界では虫プロだったというのは定説化しており、それに異論はありませんが。
- 虫プロが著作権を売らなかったのは事実だとして、それを書くにしても、ただそれを書くだけは反対で、補足は必要ですね。テレビ局に著作権を売り渡さなかったが、虫プロ以前から制作会社は著作権を売らなかった例があり、虫プロが確立したものではないこと(マーチャンダイジングは別として)。また、国内で行なったNHKやズイヨー下請けの仕事では著作権は持っていなかったし、海外でのランキンバスの下請けの仕事も同様である。また、海外輸出の話にしても、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』以降も順調ではなかったこともいたらずに虫プロを賞賛するのではなく、中立的観点からは必要でしょう。というか、自分が加筆するときはそうします。ということで、この点に関してはModehaさんとそう意見の相違はないはずです。
- 手塚関係の本は何冊か読みましたが、自分の読んだ範囲では、蒸し風呂については、「ぼくはマンガ家」を読むまで目にしたことはありませんでした。他の著者は冗談だと分かっていたのでしょう。「ぼくはマンガ家」には、手塚治虫は「自分の本業は医者である」という記述がありますが、いくら手塚本人の書いたことだろうと、それを真に受ける人がいなかったと同じだと思います。米沢嘉博はCOMIC BOXの手塚特集の座談会で、「ぼくはマンガ家」には嘘ばかり書いてあるらしいと発言しています。
- またまた長くなってしまいましたが、当方があの記述は誤りだとしてカットしたのが正当であると認められたのであれば、これ以上は余談になります。後は具体的に編集作業を通じてすり合わせていけばいいんじゃないですか。--Wing09 2006年3月27日 (月) 13:52 (UTC)
では、なるべく「虫プロの業績だ」という感じにならない形で書き足します。内容についてのご意見は編集またはノートでお願いします。また、手塚が「医業が本業」と述べたことについては、既に「手塚治虫」の記事内に私が書いています。虫プロとは直接関係ないのでその話は割愛しますが。Modeha 2006年3月28日 (火) 11:11 (UTC)
- 加筆ご苦労様です。それでは今回の件はいったんこれで終了ということで。--Wing09 2006年3月28日 (火) 15:19 (UTC)
[編集] 虫プロがテレビ局に権利を売った事実
百科事典に書くべき事実とはおもえないのでこちらに書いておきますが。調べていく過程で、虫プロが全版権をフジテレビに売った時代が短期間あったことが分かりました。
1967年頃の虫プロ商事設立前後に、フジテレビからの借入金1億数千万円と帳消しにする形で、それまでの虫プロ全作品の版権をフジテレビに譲渡する契約が結ばれていました。これは、手塚や他の役員には知らされずに、ある役員の独断で行われ、かつ、直後にその役員が病死したことから騒ぎになったそうです。すぐに権利は買い戻されたそうですが、放映権だけは取り戻すことができず、最終的に1978年まで、フジテレビが独占的な放映権を得たそうです。本筋とは直接関係ありませんが、一応付記しておきます。Modeha 2006年3月29日 (水) 11:34 (UTC)