豊浦郡
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豊浦郡(とようらぐん)は、山口県にあった郡。人口47,259人、面積491.72 km²(2003年)。
かつての郡域は、現下関市(王喜、吉田地区除く)と美祢市豊田前町である。
2005年2月12日の時点で以下の4町を含んでいた。
2005年2月13日、所属する全ての町が下関市と合併し新しい「下関市」の一部となったため消滅した。
[編集] 歴史
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年) 町村制施行により、31の村が成立する。
- 1898年(明治31年)9月1日
- 豊東前村が改称し、王司村となる。
- 豊東上村が改称し、勝山村となる。
- 豊東下村が改称し、生野村となる。
- 豊西東村が改称し、黒井村となる。
- 1899年(明治32年)4月1日
- 豊東郷村が改称し、楢崎村となる。
- 豊田奥村が改称し、西市村となる。
- 1910年(明治43年)7月1日 豊西中村が改称し、安岡村となる。
- 1911年(明治44年)4月1日 長府村が町制施行し、長府町となる。(1町30村)
- 1912年(明治45年)4月1日 豊田上村が改称し、殿居村となる。
- 1914年(大正3年)9月1日 豊西下村が改称し、川中村となる。
- 1918年(大正7年)5月1日 神田下村が改称し、神田村となる。
- 1921年(大正10年)1月10日 生野村が下関市に編入される。(1町29村)
- 1921年(大正10年)10月1日 彦島村が町制施行し、彦島町となる。(2町28村)
- 1922年(大正11年)10月1日 豊西上村が改称し、吉見村となる。
- 1924年(大正13年)2月11日 西市村が町制施行し、西市町となる。(3町27村)
- 1925年(大正14年)2月11日 安岡村が町制施行し、安岡町となる。(4町26村)
- 1925年(大正14年)5月1日 小串村が町制施行し、小串町となる。(5町25村)
- 1932年(昭和7年)11月3日 小月村が町制施行し、小月町となる。(6町24村)
- 1933年(昭和8年)3月20日 彦島町が下関市に編入される。(5町24村)
- 1937年(昭和12年)3月26日 長府町が下関市に編入される。(4町24村)
- 1937年(昭和12年)11月15日 安岡町、川中村が下関市に編入される。(3町23村)
- 1939年(昭和14年)5月17日 小月町、清末村、王司村、勝山村、吉見村が下関市に編入される。(2町19村)
- 1951年(昭和26年)4月1日 楢崎村、岡枝村が合併し、菊川村となる。(2町18村)
- 1953年(昭和28年)6月1日 豊田前村が町制施行し、豊田前町となる。(3町17村)
- 1954年(昭和29年)3月31日 豊田前町が美祢郡の2町3村と合併し、美祢市が発足、郡より離脱。(2町17村)
- 1954年(昭和29年)10月1日 西市町、殿居村、豊田中村、豊田下村が合併し、豊田町となる。(2町14村)
- 1955年(昭和30年)4月1日(4町3村)
- 1955年(昭和30年)4月10日 菊川村、豊東村、内日村(大字日新)が合併し、菊川町となる。(5町1村)
- (1955年(昭和30年)7月1日 厚狭郡王喜村、吉田村が下関市に編入される。)
- 1955年(昭和30年)11月1日 内日村が下関市に編入される。(5町)
- 1956年(昭和31年)7月1日 小串町が豊浦町に編入される。(4町)
- 2005年(平成17年)2月13日 菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町が下関市と合併し、下関市が発足、郡より離脱。同日豊浦郡消滅。