通りゃんせ
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『とおりゃんせ』は、江戸時代に成立したと見られるわらべうた。ロンドン橋と同様の遊び方もある。関所を舞台とするという説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)や、埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であるという説がある。
日本の横断歩道に設置されている音響装置付信号機には、この「とおりゃんせ」を青信号のメロディに採用しているものが多かった。最近では鳥の鳴き声を模した信号機に置き換えられつつある。
目次 |
[編集] 歌詞
- 『通りゃんせ』
- 作詞・不詳 本居長世 編・作曲
- 通りゃんせ 通りゃんせ
- ここはどこの 細通じゃ
- 天神さまの 細道じゃ
- ちっと通して 下しゃんせ
- 御用のないもの 通しゃせぬ
- この子の七つの お祝いに
- お札を納めに まいります
- 行きはよいよい 帰りはこわい
- こわいながらも
- 通りゃんせ 通りゃんせ
[編集] あそびかた
二人の子どもが向かい合って立ち両手を繋いであげ関所をつくり、他の子どもたちが列になってこの手の下をくぐっていく。この間、『とおりゃんせ』を歌い、歌の終わりで、両手を挙げていた子どもらがさっと手を下ろす。ちょうどそこにいきあたった子どもがつかまって関所役の子どもと交代する。
日本の音響信号機に採用されているのは、「調べ(=曲)が終わるまでは通っても安全」というアナロジー(みたて)である。そのため「こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」の部分まで流れないことがほとんど。
[編集] 民俗学的考察
民俗学的見地から見る場合、最も注目すべきは「七つのお祝いに お札を納めに参ります」との一説であろう。古来から、7歳は男女の別が備わり社会の仲間入りをする年齢、とみなすのが全国共通の習慣である(数え年の7歳は、現代では6歳に相当し、ちょうど義務教育を受ける年齢である)。
乳幼児死亡率の高い昔は、こどもが七歳まで生きることが難しかったため、無事な成長を願う儀式が必要とされた。そのなかで比較的多いのは、「赤ちゃんが生まれた直後、紙を人型に切って神棚へ祀り、七歳までの守り神とする。七歳の宮参りになると、それを氏神へお返しして、社会の仲間入りをする」というパターンである。かわらけの欠片や米(餅)を包んだおひねりといった古態もあるが、開けた地域では氏神のお札を用いることも多い。
つまり、7歳まで無事に育った子どもは、庇護してくれた守り神をお返しする通過儀礼を経て、社会の一員として認められるようになり、同時にそれは、今まであった神佑を断ち、神霊の庇護なしに生きていかねばならないことを意味する。ゆえに「行きはよいよい、帰りは怖い」のである。
[編集] 逸話
この歌詞の意味に神隠し伝説や埋蔵金伝説の関連付けが後を絶たない。遊郭に行った男が(行きはよいよい)遊女に梅毒などの性病をうつされた(帰りはこわい)という説もある。
[編集] 備考
- 1982年の松竹配給の映画『この子の七つのお祝いに』のテーマ曲として使用された。
- サザンオールスターズの楽曲に同名のものがある。2000年の大ヒット曲『TSUNAMI』のc/wとして収録された。タイトルはこの曲から取ったものと考えられるが、歌詞の内容は大分違ったものになっている。
- 2007年1月17日発売の諫山実生の楽曲に童謡をモチーフにした同名の作品がある。詳しくは『とおりゃんせ』を参考のこと。