連合競走
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連合競走(れんごうきょうそう)は競馬倶楽部時代に創設され施行されていた競馬の競走。1910年9月に当時競馬を管轄していた馬政局からの通達により東京競馬倶楽部で施行されることになり、翌1911年秋季に創設されたのが始まり。
[編集] 連合競走(東京競馬)
優勝内国産馬連合競走は、目黒競馬場の2マイルで施行される競走として1911年秋季に創設。通称として連合二哩と呼ばれていた。
創設当初の出走条件は春季の優勝競走で2着以内となった内国産馬と定められており、主要競走がまだ帝室御賞典しか無く、全国的な競走体系が整備されていなかった当時、高額賞金だったということもあり選手権競走的な位置付けだった。1918年からは年2回の施行となり、1928年春季からはメートル法採用に伴い距離が3200メートルとなった。
1928年の大禮記念競馬(同年は年3回施行、春季の次に開催)から各内国産古馬連合競走、1932年春季からは農林省賞典競走にそれぞれ改称され、1933年秋季からは施行場が府中の東京競馬場に移った。1937年秋季の施行をもって廃止された。
[編集] 連合競走(阪神競馬)
東京競馬倶楽部での成功を受けて、阪神競馬倶楽部でも連合競走の開始を要望していたが、1924年秋季に各内国産馬連合競走として鳴尾競馬場の2マイルで創設され年2回の施行となった。
1927年春季からは各内国産古馬連合競走、1932年の大禮記念競馬(同年は年3回施行、春季の前に開催)からは農林省賞典競走に改称された。1928年春季からはメートル法採用に伴い距離が3200メートルとなり、1928年秋季から翌1929年春季は3300メートルで施行されたが、1929年秋季以降は3200メートルに戻った。1937年秋季の施行をもって廃止された。
[編集] 牝馬連合競走(京都競馬)
京都競馬倶楽部では牝馬限定の連合競走として1928年春季に各内国産牝馬連合競走が京都競馬場の3200メートルで創設され年2回施行された。1931年秋季からは牝馬連合競走、1935年秋季からは農林省賞典牝馬競走に改称された。1937年秋季の施行をもって廃止された。
また、牝馬連合競走が創設される前には1928年の大禮記念競馬で連合競走(各内国産古馬連合競走。性別の区別無し)が1回限りで開催されている。