遺丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遺丘(いきゅう)とは、古代の人々が居住に適した場所に集落、そのうち大規模なものは、都市になるが、その集落ないしは都市を形成、放棄、整地を繰り返して何回も同じ場所に集落ないしは都市が築かれた結果、その場所が「丘」のように盛り上がるためにそのような状態になっている場所、そのような「丘」になっている状態又はそのような遺跡のことをいう。特に乾燥地では水利施設に制約されて狭い場所に都市建設の適地が制約される傾向があるため、形成されやすい。
遺丘は、世界各地に分布しているが、具体的な例としては、西アジア各地にみられるテル(アラビア語)、テペ(ペルシア語)、ホユック(トルコ語)と呼ばれるもの、アンデス地方では、ピラミッドや巨石などを含めて、このような遺丘のことをワカと呼ぶので、こういった地域の遺跡名は、テペ某、某テペ、ワカ某という遺跡名が多く、実際に遺丘を形成していることを視認されていた遺跡である場合が多い。
遺丘は、いくつもの文化層が重なった結果、「丘」のようになっているのでその場所の歴史のタイムカプセルになっている。 典型的な層位発掘調査が期待できる。文化層の遺物を共伴遺物と考えることができる。ほかの遺丘の調査結果と比べることにより、その遺丘が集落ないしは都市として機能していたのか否かなどを含めてその地域の歴史を知ることができる。