酒井忠質
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酒井 忠質(さかい ただたか、安永9年(1787年- 文化13年10月23日(1816年12月11日))は、播磨姫路新田藩の第2代藩主。父は初代藩主・酒井忠交。生母は側室らしい。養母に阿部正允の娘。官位は縫殿頭。
父の次男で庶子であったが、正室の阿部氏との間に生まれていた嫡男が早くに死んだため、享和4年(1804年)に父が死去すると、その後を継ぐこととなった。文化13年(1816年)10月23日に死去し、後を子の酒井忠全が継いだ。墓所:東京都台東区浅草の崇福寺。
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