酒井胤治
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酒井 胤治(さかい たねはる、天文5年(1536年)-天正5年5月23日(1577年6月9日)は、戦国時代の上総国土気城(現在の千葉県千葉市緑区)城主。酒井玄治の子。中務丞と名乗る。
初めは千葉氏の重臣として従っていたが、千葉氏が北条氏の影響下に入ると北条方の武将として各地で転戦した。ところが、第二次国府台合戦の準備が年始の急な出陣命令のために手間取っているうちに、北条氏康が胤治が出陣しない事に不信感を抱き始めているという報を聞いた胤治は氏康の理不尽ぶりに激怒して突如里見氏に通じて離反して、敗走する里見義弘を救援した。
このため、一転して里見氏の房総半島における最前線となった土気城には毎年のように北条軍が攻め入るようになった。胤治は上杉謙信や里見義弘の支援を受けながら悉くこれを退けた。
だが、同族の東金城の酒井敏房による切り崩しと北条軍による徹底した破壊の為に、遂に胤治も天正4年(1576年)に息子康治を人質に差し出して降伏に追い込まれ、間もなく解放された康治に家督を譲って引退した。
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