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ノート:金日成 - Wikipedia

ノート:金日成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

[編集] トンデモ説の削除を

>この改名について、日本による植民統治が始まった1910年頃から朝鮮半島で知られるようになった抗日の英雄「キム・イルソン将軍」(実在したかは定かでない)を名乗ることで自らの権威を高めようとしたと指摘されている。 >1937年6月4日、金日成部隊が普天堡の日本軍守備隊に夜襲をかけた事件(普天堡戦闘)を契機に、金日成は救国の英雄として有名となった。ただし、この戦闘に参加した「金日成」と後に北朝鮮の独裁者となる「金日成」は同一人物では無いという指摘もある。

これは、「金日成複数説」もしくは「金日成偽者説」と呼ばれるものですが、学問的には完全に否定されているトンデモ説ですので、削除すべきです。

『1910年頃から朝鮮半島で知られるようになった抗日の英雄「キム・イルソン将軍」』などはいなかったし、そんな伝説もありませんでした。

また、普天堡戦闘を指揮した金日成が解放後の金日成と同一人物であることを疑う意見は、もはやごく一部のトンデモ系に限られており、韓国でも歴史学者の大多数はそのような主張を相手にしていません。

「歴史修正主義」の項目に移すべきでしょう。

トンデモを削除したら、書き込み禁止というような不当な処分は納得できません。137.205.8.2 2004年9月15日 (水) 22:28 (UTC)


あなたの投稿がブロックされているのではなく、この記事は編集合戦となったため保護されたようです。保護されているかどうかは表示からわかるのですが、明示を行いました。ノートで編集方針について合意を形成した上で、解除の申請をなさってください。よろしくお願い致します。--Gleam 2004年9月21日 (火) 07:45 (UTC)
反論がないようですので、保護を解除してください。東日本国際 2004年10月4日 (月) 15:17 (UTC)

1910年代に「キム・イルソン(김일성)将軍」という伝説があったこと自体は多くの資料に現れています。ただし、その正体に関する議論は又聞き情報に頼るなど、確実な根拠を欠いています。一方、伝説的なキム・イルソン将軍に当たるか否かは別として「김일성」(漢字表記は金一星、金日成、金一成、金日星など)という名前を本名または変名として名乗った独立運動家が多数いたことも確かなようです(徐大粛著「朝鮮共産主義運動史1918-1948」第9章などを参照)。Knightofathena 2005年8月11日 (木) 18:37 (UTC)

見づらいので、この節の見出しをいじりました。--Iosif 2005年12月23日 (金) 10:17 (UTC)

[編集] 仮名漢字変換について

> "きむいるそん"で"金日成"に一発変換可能である。 これは仮名漢字変換の種類に依存するので「MS-IMEでは」等と明示すべきです。


[編集] 「事実上の独裁者」を削除

 冒頭説明文における「事実上の独裁者」という文言を削除・編集いたします。ただし、この削除によって金日成を擁護しようという意図は一切ありません。

 日本語の「独裁」という表現は漢字から意味を簡単に類推できますが、実際にはさまざま定義されていて、なかには漢字からのイメージとは少し離れた定義も多く、ちょっと混乱します(リンク先の「独裁者」の項目や「独裁者/専制君主」の呼びわけなど)。

 もしも「独裁」ではなく「dictatorship」(この語も勿論「独裁」の意ですが)であったり「dictatorial regime」と書かれていれば、それら英語の用例のニュアンスから納得できないわけではありません。

 誤解を招かないために北朝鮮に関する個人的な感想(?)を先に述べます。私は「『北朝鮮の政治体制』もしくは『金日成を最高指導者とした政治体制』を『圧制』と規定する立場」に賛成しています。ただし「圧制」という言葉は価値中立的でないため百科事典であるウィキペディアでは採用するべきではない言葉だとも考えます。

 金日成を指して「事実上の独裁者」とするべきでないと考える理由は以下のとおりです。

 「独裁」という日本語は「一人の判断で物事を決めること」(goo辞書)を意味すると思われます。もちろん「独裁」を「絶対的な権力を握る一定の個人または集団・階級が独断によって全体を治めること。また、そのような体制」(goo辞書)と捉えることもできますが、その場合は「朝鮮労働党による独裁」と記すべきなので(これも厳密さを欠きますが)、ここでは論じません。

 金日成個人が北朝鮮においてそのような独裁権力を行使できた時期は非常に限られていると思われます。

 まず、国制における規定では国家主席に権限が集中したのは1972年憲法が成立して以降にすぎません。

 また、実質的な権力がどれほどのものだったかを推測してみても、やはり金日成個人の裁量が無限だったとは思えません。40年代には金日成派は少数派ながらソ連の代理人として激しい権力闘争を戦い抜いています。50年代になっても新たな党内抗争が頻発しています。これらは金日成の独裁権力の確立が難しかったことをあらわしていると思えます。また、東欧諸国と比較してもスターリン型の指導者を確立するのに苦心しているように見えます。

 おそらく金日成……というよりは金日成派が完全に政権を意のままにしたのは1968年以降だと思われます。しかし10年もして80年代になると労働党幹部たちは金正日を後継指名しています。  これらを考えあわせると、金日成を独裁者と呼ぶことができる時期は70年代だけだということになります。その70年代でさえ、個人崇拝とは裏腹に金日成政権は集団指導体制だった疑いがあります。

 個人崇拝を要求したということや圧制者であることと、実際に「独裁者」であることとは、別問題だと思われます。

 以上の理由から、金日成が「事実上の独裁者」と断言するのは難しいと考える次第です。ちなみに「事実上の独裁者」ではなく「名目上の独裁者」であった期間のほうが長かった可能性のほうが高いとも推測しています。

 「独裁者」にかわる説明としては、すでに書かれている「朝鮮労働党の創立以来、死去まで一貫して最高指導者の地位にあった。」という記述が十分に役割を果たしていると思います。

 リンクはどうすればよいのかわかりません。2005年10月25日 Bon.D--219.0.238.246 2005年10月24日 (月) 19:46 (UTC)


[編集] 編集(1)一国一党の原則(2)中国共産党との葛藤(3)満州派の軍警独占の原因

【0】 金日成が東北抗日聯軍に参加するまでのいきさつは複雑ですし、それまで独自の活動を展開した(というよりは加わった)のは事実だと思われますが、若年者であり「独自の活動」を指導したというほどのことではないため「独自の活動を展開」と特筆するのはバランスを欠かないでしょうか?

(1)】

 また、東北抗日聯軍に加わるいきさつも複雑で、直接の動機も現時点では推測に頼る他ありません。少なくとも一国一党の原則に従っての行動とは言えないと思います。一国一党の原則はもっと前に提示されていたのではなかったでしょうか。「一国一党の原則に従って」と表現するのにふさわしいのは朝鮮共産党の解散などの例だと思います。「一国一党の原則」→「満州では中国共産党によるゲリラ活動が正統(ひょっとして主流?)」→「他に抗日闘争をやる舞台がない」というのが実態だろうと思うのですが。。。

書き込んだつもりですが、トラブルがあったらしい時間と重なったようです。一国一党の原則について、私の間違い=記憶違いでした。さて、一国一党の原則については、抗日聯軍合流よりも、前段階の中国共産党に加入したことにかけたほうがよいかと思って編集しました。異論ありましたら、再編集してください。できれば、編集意図をご説明いただけると幸いです。--Iosif 2005年10月31日 (月) 21:19 (UTC)

(2)】

 「闘争方針を巡って極左的な傾向を帯びていた中国党幹部との間に様々な対立が生じるが」というのは事実だと思います。

 しかし、第1に、共産党のゲリラ活動において「極左的な傾向」という表現を用いるのは何を意味するのかわかりづらく、ふさわしくないと思います。武装闘争と革命を志している点では同じだからです。そういう領域では何が極左的で何が保守的か、運動内部の規定(もしくは論争やレッテル)に拠る以外に定義しようがないと思います。

 第2に、民生団事件に代表されるいくつかの粛清を生き延びている点から「中国党幹部との間に様々な対立が生じる」と評するのは行き過ぎだと思います。

 ただし、自伝においては事実なのか弁明なのかはともかく、たしかに「路線上、民族上の葛藤があったこと」を吐露してしていますので(何かしらの葛藤があったことに間違いはないと思えますが、その“程度”がわからないので)、ゲリラ時代の金日成を描くのにはこの表現にのみとどめるべきではないかと思います

 「朝鮮人の中での信望が高く、組織力に優れていたため一目置かれる存在になる」という点についても「信望が高く」という点は問題ないと思いますが「一目置かれる存在になる」という点については正確な指標を示せないため違和感がありますが、中国共産党への報告によって同内容を代替できると考えます。

 以上の点を考えて、修正を加えました。


(3)】

「戦闘経験豊かな満州派は警察と軍部を押さえることに成功し」とありますが、これにも疑義があります。戦闘経験といっても満州派のそれは1930年代のものです。

 また45年段階では最大の武装勢力は中国帰りの一部だったというのが徐大粛も和田春樹も一致している見方ですし、スカラピーノも(和田より大昔に)徐大粛説に依拠して書いています。

 満州派が警察と軍部を押さえたのは「戦闘経験が豊かだった」からではないと思います。東ヨーロッパのソ連影響下におかれた国では例外なく全て、ソ連の代理人として抜擢された一派が連合政権の一角を占めながら軍・警を押さえることに専念し、のちに他党派を排除し次に国内派を排除しています。東欧に関しては、これらの方策がソ連による東欧諸国の「スターリン化」策として戦時中から練られていたとされています。北朝鮮においても同じことが起きた=無理矢理同じ方策を当てはめて実行した(=東欧に適用すべく用意した政権構成戦略と同じようなものを金日成派は教え込まれていた)と考えるべきだと思います。

 よって軍・警を押さえたことと、満州派の戦闘経験との間に因果関係を求める記述は(因果関係がゼロだとは言えないとしても)現時点では避けたほうが良いと考え、この点にも修正を加えました。私見を言えば、満州派の満州における戦闘経験よりもソ連領内での訓練が軍・警を押さえることに役立ったと思います。 --Iosif 2005年10月26日 (水) 21:32 (UTC)


[編集] 金日成暗殺説に疑義

金日成暗殺説については(面白いですが)辞典としては記述量が多すぎるように思えます。あくまで疑いがあったことについて少なく言及するのにとどめるべきだと考えます。

 理由としては、第一に、「一部の北朝鮮ウォッチャー」というのがあまりにも「一部」に過ぎないからです。第二に、それら「ウォッチャー」には権威付けされた研究者がおらず、学術的な査読を経たものでそのような疑いが述べられた例があるとは思えないからです。

 第三に挙げられるのは、暗殺説への反論もじゅうぶんになされている点です。もちろん、それらの反論も推論にすぎません。核開発危機をきっかけに、とっくに引退したと考えられていた金日成が登場したことは記憶に新しいですが、金日成というカリスマに頼らなければ米朝枠組み合意は達成できなかった(国内を押さえられなかった)と思われるため、彼を暗殺するにしてもタイミングが悪すぎるという見方による反論です。

 最後に「暗殺説」に対する最も説得力を感じた「反論」を挙げます。当時はすでに金正日後継体制が(これ以上ないくらいに)完成されているからです。呼称で言えばとっくに「元帥」でしたし、金正日個人崇拝を高めるプロパガンダはすでに10年以上に渡って行われていましたし(つまり後に引けるとは思えないし)、政府閣僚も党幹部も金正日の息がかかった者ばかりでしたし、彼が掌握していなかったのは軍部だと思われます。金日成の死後に金正日が軍部掌握に苦心している様は当時から報道されていますから、米朝枠組み合意後の情勢からして、金日成の死去が金正日に利するところがあるようには思えず、この「反論」は最も説得力を感じるものでした。金正日の後継が遅れることを金正日が恐れたという説だけはそうとう無理があると思います。

 私の編集主旨は「暗殺説への言及が多すぎる」というものですが、勝手に削りすぎるのもあんまりなので、少し削るだけにして反対説を付加しました。

 しかし、辞典には「絶対に確認できないこと」を書くべきとも思えず、本来は暗殺説をめぐる推論のすべてを削るべきではないかと思います。また「そのような推論があった」ということも、記しておく値打ちがあるとは思えません。 --Iosif 2005年10月26日 (水) 22:16 (UTC)

[編集] パルチザン時代について

<1>10月28日 (金) 23:18 の版で、時系列順に並び替えました。解放後の党内抗争から権力掌握までの記述が抜け落ちているかたちですので「書きかけ」ですが。

<2>同じく10月28日 (金) 23:18 の版での編集は、10月26日のノート「(1)一国一党の原則&(2)中国共産党との葛藤」に記した主旨に基づくものです。以前に自分で編集しておいて、元に戻していることに気づきました。

<3> 220.104.121.87様:  ご意見いただければ幸いです。

(1)「朝鮮人パルチザンは間島地域朝鮮人移住民の支援で比較的勢力を温存した」ということは存じませんでした。元の文は、東北抗日聯軍が壊滅していくなかで金日成部隊が命からがら越境した(それでも相当数が殺されたり死んだりした)ことを書く意図がありました。朝鮮人パルチザン全般については朝鮮人住民の支援に助けられたと言えるのでしょうか? 言えるとしても「金日成」の項目で必要でしょうか? 書くとしたら、金日成部隊とその他の系統について書き分ける必要があると考え、編集はしましたが、詳細は参照できておりません。両方の主旨を生かした文案を提供いただければなお幸いです。

(2)「赤裸々」と書き加えられた点について。金日成が東北抗日聯軍に在籍していたことについて「率直に吐露」と私が書いたのは、自伝刊行まで北朝鮮の公式プロパガンダで喧伝されていた「革命伝統」に反する記述を金日成本人が平気でやっているという背景を(辞典においても)強調すべきだと考えるからです(金日成という個性を物語るエピソードではないかとも思っていますが)。しかし、金日成が朝鮮民族主義者であったことは「赤裸々」に書いたというよりも、必ず書かなければいけなかった事柄だと思います。「率直」であるとか「赤裸々」であるとかはどちらも読者の主観的な印象を述べる言葉なのでふさわしくないのですが、前者のみ北朝鮮の公式プロパガンダに反する(または不利益)な内容なので、その「率直さ」を特筆すべきと考えた次第です。 2005年10月28日 (金) 23:29 Iosif(←署名忘れ、後日追加--Iosif 2005年11月23日 (水) 19:37 (UTC))


下の「民生団」関連の項目に続いてもう一箇所「越境後の金日成部隊はソ連極東軍傘下の第88特別旅団に中国人残存部隊とともに編入され、金日成は朝鮮人部隊の責任者(階級は大尉)となった。」という記述ですが、第88特別旅団は中国人・朝鮮人混成の部隊で、金日成はあくまで第一大隊長の地位に過ぎません(ただ、この大隊は他の大隊に比べ朝鮮人隊員の比率が高かったようです)。また朝鮮人の中でも崔庸健は旅団参謀長・党書記で金日成より高い階級にあったので修正しました(なお本文の2005年12月22日 (木) 12:10と12:13は共に私の投稿です。Cookieの設定違いから二重投稿になってしまって申し訳ありません)。

ところで、上の方の項目にしてもそうですが、丸付き数字は機種依存文字なので修正すべきではないでしょうか? Knightofathena 2005年12月24日 (土) 14:42 (UTC)

えっと、これ(「朝鮮人部隊の責任者(階級は大尉)」の部分)は私がお返事する事柄じゃないですよね? (「下の民生団関連の項目に続いて」と書かれているので自分に対するものかと思って慌てましたが、指摘の部分は編集した記憶がないし……)。Knightofathenaさんと同じように認識していますと(一票を入れる?)表明をしたほうがいいかもしれないので、表明のみ。同時に書かれている「丸付き数字」は修正しておきます。Iosif 2005年12月24日 (土) 20:40 (UTC)
遅くなりましたが、丸付き文字修正。余計見づらい気もしますし、もっと良い修正方法があるのかもしれません(他にもあちこちの項目で修正しなきゃいけないところがありそう……)。Iosif 2006年1月6日 (金) 17:32 (UTC)

【同一人物か否か】「こうした事情から、現在でも普天堡襲撃を行った東北抗日聯軍第六師長が後の共和国主席である金日成と同一人物であるか否かについて意見が別れている」という記述についてです。表現が少しだけ金日成複数説に傾いた印象をもちました。間違いなくKnightofathena さんのほうが詳しいので、素朴なお尋ねとともに相談いたします。

話が出てきた順序からしても、印象ではありますが、「意見が分かれている」段階のほうが昔で最近はあまり複数説を目にしません。上のほうには「トンデモ説」としている人もいる。そういう事柄で、複数説等が出た原因を挙げたあとに「意見が分かれている」とするのも、両論併記に徹しているのだと解していいのかどうかわかりません。まるごと言及しないでおくか、情報は多いほうがいいと考えて議論の経緯に言及するべきか、どう思われますか?

議論の経緯というより、経緯についての私の認識です。ご存じのとおり和田春樹はKnightofathenaさんご紹介の『思想彙報』20号が「普天堡襲撃の金日成と共和国主席金日成は別人」説への反論となっているとして李命英・他の「金日成複数説」を退けています。36歳だという話は「金日成は36歳で、モスクワ共産大学を出てから満州に来た」という供述を得たという事件担当警部の談話が根拠だが、(a)官憲はこの談話を採用していない、(b)隊員が金日成が神秘化していたことを示すものである、(c)41年の恵山事件判決が「日成コト金成柱」という表現を用いているのは『思想彙報』20号の認識が確立されたからだ、という内容でした。また、いつどこで書いたか発言したか失念しましたが「金日成複数説は遊撃隊員の官憲撹乱を目的とした供述の記録を信じたものである疑いが強い」ともしていました。そのへんを加筆するべきかどうかを迷います。そこまで加筆すると冗長なようにも思うし。

加筆修正するとしたら「こうした事情から、普天堡襲撃を行った東北抗日聯軍第六師長が後の共和国主席である金日成と同一人物ではないと疑う意見が出ている。それに対して、朝鮮総督府がその他の情報・供述を排して「本名金成柱当二十九年」としていることをもって同一人物で間違いないという反論がなされている。」というようなものを考えています。もっと詳しくしたほうがいいかもしれませんが。--Iosif 2005年12月24日 (土) 20:40 (UTC)


【前田部隊】前田部隊のところも迷います。「全滅とされている」という編集に対して「いや、事実上、全滅だろう」と脊髄反射的に典拠を挙げましたが(そもそもそれほど重要な事柄とは思えないので)ここだけ数字が詳しいのもバランスが悪いのではないでしょうか。簡単に「事実上「壊滅」」とだけ記して数字を削ったほうがいいのかとも迷いますが、Wikipediaはどんどん情報を重ねていったほうがいいものなんでしょうか? 「別にいいじゃん」と言われればそれまでですが、自分が要らぬことを書いたせいで、一部分だけやたら数字が出ることになっていたらイヤだなあと思って。死者120名というのが共和国の公式発表だったとは知りませんでした。--Iosif 2005年12月24日 (土) 20:40 (UTC)


金日成の抗日活動に関連する文章をいくつか読んだところ、確かに大体において第六師長金日成と共和国主席金日成を同一人物としているようです。 実際に当時の抗日活動に関連する同時代資料を見てみると、金日成に関する記述には少なからぬ齟齬を見出すことはできますが、日本官憲や抗日運動の末端の活動家が抗日運動に関する全ての事実を正確に把握できるわけではない以上、抗日活動家に関する同時代資料での記述に少なからぬ齟齬があるのは珍しくないことですし(例えば李紅光は1980年代に入って中国での研究が公開されるまでは女性と思われていた)、金日成に関して言えば、思想彙報20号に掲載された日本官憲の最終的な見解、およびその根拠になったと思われる、満州国の朝鮮系の治安関係者の収集した情報が最も信頼に値するものといえるかも知れません。 こうしたことをこれ以上詳しく解き明かすのは「研究成果の発表」となってwikipediaに記述するには相応しくなくなるようにも思えますが、これらの背景事情を踏まえるなら

こうした事情から、普天堡襲撃を行った東北抗日聯軍第六師長が後の共和国主席である金日成と同一人物ではないと疑う意見が出ているが、抗日運動家に関する記述に齟齬があるのは珍しいことではなく、結局は朝鮮総督府がその他の情報・供述を排して「本名金成柱当二十九年」としているのだから、両者は同一人物で間違いないという反論がなされている。

という記述が適切なのではないかと思います。

前田部隊の状況については、日本側の資料では「現代史資料30」(みすず書房)では50数名死亡となっていますが和田春樹氏の著書によれば満州国警察の刊行物「警友」には前田部隊はほぼ全滅した旨の記述がなされているとのことです(「警友」の文書は入手できませんでした)。 Knightofathena 2006年2月1日 (水) 14:01 (UTC)

Iosif記: お尋ねの前提には、「研究者の間では明らかに優勢」である場合や、さらに進んで「片方はトンデモ扱い」という場合があり得ますがそういう場合は単なる両論併記というわけにいかないだろうという思いがありました。かといって、何が優勢なのかを客観的に立証するということはできないし(研究者が自分はこう判定すると言うのはいいのでしょうが)やったところで、おっしゃるとおり「独自の研究発表」ですから、困ったところだと思っています。しかし、異論が出ないくらいにはっきりしているなら学説の優勢劣勢くらいは表現できないか?するべきではないのか?とも感じるのです(そんなことを言うから特に日韓問題関係は荒れるのか?)。まずはKnightofathenaさんの提案は「和田説からの反論を加筆する」というものだと理解しています。
和田春樹による反論の論拠に加えて、さらに和田説を支えているものの一つとして中国共産党側の文書からは(おそらく旧ソ連の文書からも)金日成複数説を支持する材料は見つからなかった(和田は見つけられなかった)ことが挙げられると思います。さらに別方向から和田説を支持できるのは、李命英説を支持する人がその後すっかり見られなくなったことです(論壇誌ではときどき見ますが)。韓国にもいろんな研究者がいるし複数説が活躍したジャーナリズム誌も健在ですが、金学俊は複数説を完全無視、李鐘ソクもほとんど無視していたと記憶しています。アメリカでは徐大粛も李庭植も触れているのを見た記憶がありません。ただし、いずれも、記憶でしかなく、しかも90年代中の記憶です。ひょっとして、その後どこかで複数説が再びクローズアップされたり支持されたりしているのでしょうか? 4人挙げただけで決めるのもどうかと言われそうですが、4人は最有力の北朝鮮研究者だと思っています。このへんに無視されていたなかで和田春樹がわざわざ反論するので「トンデモ説に反論するなんて奇特な…」という印象だったくらいです。そんなことから、私も、ノート・冒頭の137.205.8.2さんと同じく、金日成複数説は相手にされていない説だとみなしていました。相手にされようがされまいがそれも意見だと言えば意見なのでしょうけれども、一方が「有力説である」とか「明らかに優勢だ」というニュアンスを加味・反映するべきだと思っています。
Knightofathenaさんのおっしゃるとおり詳しく解き明かすほど「研究成果の発表」となるのであれば、むしろ「複数説」に関する言及を本文からゴッソリ削るというのはどうでしょうか? ご提案文にもあるとおり、「珍しいことではな」い程度の「齟齬」ゆえに出た複数説ですから。ご検討ください。
とりあえずご提案の文を加筆します。しばらくしたら、そこに加えて「また、旧ソ連資料や中国共産党側資料が公開されて以降も金日成が同一人物ではないと疑わせる材料が出たとはされていない。」と加筆しようと思います。ご意見ください。
こういったケース=「どう考えてもAが有力説でBは少数説扱いどころかトンデモ説扱いされているが、そういった情勢をどうやって書けばいいのか? そもそも、Aが有力説だと認識しているのは俺だけなのか?」みたいなときにWikipediaではどうすればいいのでしょうか? 署名論文ならここまでくれば「B説は説得的ではない」とか自前のジャッジを下すんでしょうけれども。ご覧の方で、Wikipediaに慣れていて、興味あるかた、どなたかご意見いただければ幸いです。--またログイン忘れ。ログインして再署名します。--Iosif 2006年2月1日 (水) 18:39 (UTC)--再修正Iosif 2006年2月1日 (水) 18:51 (UTC)

[編集] 民生団について

民生団(朝鮮民族主義者)という記述がありましたが、民生団は親日派朝鮮人が結成した反共団体です。また民生団事件は、民生団の解散後、新たに発足した親日派朝鮮人の反共団体である協助会の工作によるものです。Knightofathena 2005年12月22日 (木) 12:16 (UTC)

おっしゃるとおりでした。Knightofathenaさんご紹介の、徐大粛『朝鮮共産主義運動史1918-1948』第9章268頁を確認しました。民生団云々は編集の履歴を見て金日成が中国共産党員だったとする記述が不名誉だと考える人がいるように勘ぐって、同じく徐大粛によって「朝鮮人の組織は何もかも民生団と呼ばれていた」とされていることを踏まえて持ち出しました(とかいって、間違いを書いたのでお話にならない、スミマセン)。ので、そのへんをどう生かそうかと相談すべくこのノートに書きはじめましたが、本文を確認すると、すでにとても詳しくなっているので、余計なことを書く必要はなくなりましたね。--Iosif 2005年12月23日 (金) 10:14 (UTC)

朝鮮人隊員が「民生団」のレッテルを貼られ粛清される事例は協助会発足以前から起こっていたようです。したがって、協助会の工作によって民生団事件が起こったという記述は不適切でした。「朝鮮人隊員が民生団員であるという嫌疑を受けて粛清されていたが、その後協助会の発足によりさらに粛清が激化した」としたほうが良いかも知れません。 Knightofathena 2006年2月1日 (水) 14:01 (UTC)

[編集] 北朝鮮の政治体制

なお、戦前の日本の政治制度、特に天皇制と官僚制の関係を、自国の政治制度の参考にした、との説もある。

59.129.59.4さんによる上の記述をいったんコメントアウトしました。が、たしかにこの種の指摘はしばしば耳にします(誰が言ってたか失念。加筆された59.129.59.4さんならばすぐわかるでしょうけれども)。ただ、これは北朝鮮の政治体制に関する解釈ですので、項目:北朝鮮でやるか、それとももし金日成への権力集中とからめて項目:金日成で説明するとしても諸解釈を一括して紹介するセクションを設けるかするべきではないでしょうか。などと言いながら、私=Iosifも1972年(金日成の独裁体制完成)以降にも粛清が続いていることへの解釈を(後継体制準備だと考える人だけではないと)加筆する際に、北朝鮮の政治体制に関する解釈に踏み込んでいますので、上の引用部もそのへんに組み込もうと考えてみましたが、天皇制との類似(…というよりも国体プロパガンダとの類似=日本の戦時体制をモデルにしている疑い)は、粛清や後継体制とうまく関連付けられず、いったんあきらめました。この項目で書くべきではないと確信しているわけではないので(単にうまくやれないなぁというだけですので)、ぜひご意見ください。--Iosif 2006年3月29日 (水) 08:11 (UTC)

[編集] セクション名について

朴一さま:要約欄を書ききらないうちにENTERを押してしまったので、ここに書きます。参照先をああやって整理すればいいのかと勉強になりました。というのは、さておき、朴一さんによる整理にほぼ異議はないのですが、項目名を1つだけ変更してみました。「建国」とあるのを、ちょっと迷いつつ「解放」としました。「解放後」のほうがいいのかもしれません。▼理由は、第一に、記事の現状では解放(45年)から建国(48年)までについての記述が主であるからです。朝鮮民主主義人民共和国の項目でないかぎり何をもって「建国」と言うかという議論があり得ますが、とりあえず共和国樹立を「建国」と呼ぶとの理解でよろしいでしょうか。第二に、「金日成の評伝」とする場合、建国後も加筆されるでしょうが、45年から48年までの期間は重要度が高いと考えるため、より加筆の余地を残すべきだと思うからです。▼個人的には、小スターリンであること(衛星国の単一指導者&崇拝付き)と、粛清を語るにはソ連との関係を語らざるを得ない、ソ連との関係を語るには人民共和国樹立前の東欧諸国と同じプログラムを(たぶん無理矢理)押し付けられたと思わしき経緯も少し触れなければならないだろう、と考えています(遠くないうちにやろうと思っているのですが……書きもしないうちにすみません)。--Iosif 2006年4月2日 (日) 19:16 (UTC)

[編集] 2006年4月18日の編集

61.210.139.231さん:編集箇所が多岐に渡っていますが、編集の意図を解しかねる部分が多いので、戻した部分に関してこちらでまず私の意見を述べ、お返事をお待ちします。

  1. 現在の記事ではパルチザン活動について複数から確認されている情報が記載されています。そのため節の名前を「作られたパルチザン伝説」とするのは適切ではないと思います。北朝鮮によって「作られたパルチザン伝説」というためには、北朝鮮が作った「伝説」そのものがどういうものかを記述しないと(別途、書くとか)いけないと思います。そういうものに情報価値があるかどうかという疑問は残りますが。
  2. 「独裁者」という呼び方についてはココで提起しています。提起者は署名が違っていますが私です。
  3. 「遺体はロシア人の技師により加工され」と加筆していますが、冒頭部は可能な限り短いことが望ましいと思うため、書き入れる場所として不適切だと考えます。誰に加工されたのか私は知らないのですが、書き入れるなら別の節がふさわしいと思います。
  4. 姓名に関して、「公式記録」を強調する意図がわかりません。また「公式伝記」という記述は重複強調になっています。
  5. 「ソ連による政権樹立」は、間違っていないと思いますが、POVギリギリかな、と。第二次大戦後の国家は大なり小なり同じですので。それよりも本文記述で、ソ連の傀儡であったや、自主路線を歩もうとして緊張関係にあったことなどの経緯に触れ始めていますし、詳述するほうがいいと思います。「ソ連による樹立」と言ってしまうと、北朝鮮がああいう体制になった経緯がかすんでしまうと思います。
  6. 金日成という人物への評価を書き入れていますが、この種の評価は控えられたほうがいいと思います。POVだということになりますし、それ以外の評価もふくらめば収集がつかなくなると思います。それよりも、「プチ・スターリン(小スターリン)」はソ連衛星国を語る際に一般的に用いられていますし、中ソの間を泳ぎ乗り切ったことは北朝鮮の一見特殊な動員体制を作ったことと切っても切れない関係ですので、そのへんを時系列順に詳述したほうが、評価表現を用いずして人物像を(ほぼ同趣旨で)語らしめることができると思います。--Iosif 2006年4月20日 (木) 21:29 (UTC)

[編集] 諸系統の名称

誰が「満州派」なのかを同定したのは、和田春樹ですが、和田は「派」と呼べる結束を誇っていたのは「満州派」だけであること、延安から帰った朝鮮人も内部で複雑な関係があり諸系統があったこと、朝鮮系ソ連人はソ連当局の命を受けて党と国家を建設するために来ているので満州派と同じような名称にすると誤解を生むこと、なにより国内共産主義者はいちがいに「朝鮮共産党」として団結したり南労党系統も団結しているわけではなく国内在住者間も大変複雑な関係にあること(その関係を明らかにすることはまだ難しいこと)……などから、金日成派のみを「満州派」と呼び、それ以外は「延安系」「ソ連系」「国内系」としております。この名称に準拠したほうが良いと思います。特に異論なければ、それに準拠したく存じます。とりあえず1週間ほど、提起したままにしております。--Iosif 2006年6月9日 (金) 09:19 (UTC)

[編集] ルビふり

漢字だらけだと多少可読性に難があるのでちょいとばかしルビ振ってみたものの・・・・キリ無いというか役に立ってないというか--M氏@白CURREN 2006年7月2日 (日) 20:07 (UTC)

[編集] メクレル

▼メクレルによる面接によって金日成が選定されたという文言をいったんとりました。NHKスペシャルの影響でノート:チョ晩植でも同じことを主張した人がいますが、メクレル面接が決定的だったとするのは、いくつもピックアップされている諸々の史実のうち一面だけを取り上げることでやっと可能になる解釈だと思います。現に、Nスペを(録画で)確認しても、番組はそのようには断言していないのです。「劇」的に言うためか何か、そういう演出意図はあって当然ですから、「存命のメクレル」による証言を重く取り扱ってはいましたが。▼メクレルによる面接・調査によって(はじめて?決定打となって?)金日成が小スターリン(ソ連衛星国それぞれでソ連によって準備された、もしくは許容された指導者)に選定されたのだと断ずる文献があるのでしょうか?。金日成は、その前に、モスクワでスターリンによって面接されたとも言われております。また、衛星国の指導者(というかソ連の代理人)に選出されるのは、だいたい第二次世界大戦中にソ連領内で保護されたり教育された人なのはよく知られています。朝鮮人でこれに当てはまる人を探そうとしても、40年代にソ連領内で過ごした(第88旅団の)満州パルチザンにとってかわるほどの人々はいません(もっと以前にソ連に溶け込んだ朝鮮人はたくさんいますが→これらはソ連派と言われる人々になったそうですが)。このことから、北朝鮮の指導者に満州パルチザン出身者が据えられたことについては、彼らが少数であるから無理があるところを、無理を承知で、行われたと考えるのが主流……というのが私の知るかぎりの(=97年までの)話です。これ以降に、新たな史料と解釈が登場したのでしょうか?▼要出典テンプレを貼るべきところですが、これまで知られていたメクレル証言をあらためて過大に受け取った視聴者は多かったので(一部ジャーナリストもこれを引用したので)、それを見ての誤解なのではないかと考えて編集します。--Iosif 2006年11月13日 (月) 23:04 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年11月14日 (火) 19:27 (UTC)

[編集] 金日成について

あっ、そういえば、他の独立運動家には全部「朝鮮の独立運動家」ってついていましたね……。李承晩もそうでした。忘れてた……。--Iosif 2007年1月28日 (日) 22:16 (UTC)

いまの日本では悪口を言われるためにいるような人だから、慎重を期して、意見を募ります。冒頭は「金日成は、朝鮮の独立運動家で、朝鮮民主主義人民共和国の政治家」でよろしいですか? ▼DOBYABURIGAH様:ちなみに本文には独裁者とは書いていません。当ノート「事実上の独裁者を削除」で書いて編集して以来、特に反対もありません。--Iosif 2007年1月28日 (日) 22:22 (UTC)

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