長岡京
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長岡京(ながおかきょう)
- 784年から794年まで山城国乙訓郡に存在した首都のこと。現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にあった。本項で後述。
- 京都府長岡京市。市域の一部が1.の一部跡地と重なることに由来。市制前は乙訓郡長岡町と呼ばれていたが、新潟県長岡市が先にあったので、このような名前となった。
長岡京(ながおかきょう)は784年(延暦3年)、桓武天皇が平城京から遷都して造営された。遷都については、「続日本紀」には、水陸の交通の便が理由であるとの記述が見えるが、
等の説がある。
しかし、翌785年造長岡京使藤原種継が何者かによって暗殺され、その容疑が桓武天皇の弟早良親王にかけられたため、早良親王が配流される事件が起きる。親王が恨みを抱いたまま死去したため、怨霊が噂されるようになった。その後わずか10年後、794年(延暦13年)に平安京へ再遷都された。
- 交通の要であった川の氾濫が頻繁であったため。
- 上記災害や疫病、皇后や皇太子の発病など、早良親王の怨霊を原因とすると占われた数々の不幸が襲ったため。
などとされている。
なお、近年まで「幻の都」とされていたが、1954年(昭和29年)より、高校教員であった中山修一を中心として発掘が開始され、翌1955年(昭和30年)、大内裏朝堂院の門跡が発見されたのを皮切りとして、今日までにかなり発掘調査が進み(当該地域で急速な宅地化、工業地化が進み、緊急調査を強いられ続けた側面もあるのだが)、
- 未完成で放棄されたとした従来の定説と異なり、難波宮や他の旧宮、はたまた平城京の建造物までが移築され、かなり完成した姿であったこと
- 平城京、平安京と並ぶ京域を持つ都であったこと
がわかっている。
[編集] 関連事項
先代: 平城京 |
日本の首都 784年 - 794年 |
次代: 平安京 |