関勝 (水滸伝)
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関勝(かんしょう)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。
梁山泊第五位の好漢。宿星は天勇星。渾名は大刀(だいとう)という。『三国志』中の関羽の子孫を称し(ただし正史において関羽の一族は蜀滅亡時に皆殺しにされているため信憑性は極めて薄い)、登場時32歳。容貌は関羽そっくりであり、棗のような顔に見事な髯の持ち主。髯は、同じく関羽似とされる美髯公朱仝と異なり、口・頬・顎の三筋(髯、髭、鬚)で長細い。また妻子もいるようである。
その渾名が表す様に先祖同様青龍偃月刀の名手。学問にも励んでおり兵法にも通じている。林冲、呼延灼ら梁山泊主力とも互角に渡り合う作中でも屈指の猛将で、梁山泊を苦しめた強敵を多数倒している。義にも厚い人物らしく、宣賛、郝思文、単廷珪、魏定国等、彼を慕う人間も敵味方問わず多く存在するが、登場が遅く、人間性を表すエピソードも少ないせいか、同じ騎兵の将軍で『三国志』の張飛の特徴を備える林冲と比べて、人気、知名度ともに大きく劣っている。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 生涯
蒲東県の巡検(捕り方の役人)だったが宣賛の推薦で、義兄弟・郝思文と共に都へ召還され、梁山泊に攻められた北京の救援軍を指揮する。関勝は北京には赴かず、直接梁山泊を急襲するという作戦を取る。それを知った梁山泊軍は慌てて北京の包囲を解いて梁山泊に引き返し、関勝の軍と対峙する。この戦いで関勝は林冲、秦明といった梁山泊主力の豪傑たちと互角の戦いを演じ、さらに夜襲を仕掛けてきた敵水軍を二度に渡り撃破、張横、阮小七らを捕らえる戦功を上げるが、かつての官軍呼延灼の偽投降の策にひっかかり捕らえられてしまう。しかしそこでの宋江の考えと態度に感じ入りそのまま梁山泊に入山した。そして、続いて攻めてきた元部下単廷珪を一騎討ちで捕らえ、同じく魏定国を説得して二人を梁山泊に引き込んだ。
百八星集結後は騎兵五虎将の筆頭として官軍との戦い、帰順後の各地の反乱軍との戦いでも活躍、遼との戦いでは敵の総大将兀顔光を張清らとともに倒し、田虎との戦いでは旧知の敵将を内応させることに成功。
方臘との戦いでは作中でも最強の敵、石宝と互角の死闘を演じ、また烏龍神邵俊の加護と樊瑞の助力を得て妖術使いの鄭彪を討った。また危機に陥った味方の救援部隊として働く事も多く、いかに関勝の武勇が信頼されていたかがわかる。乱の平定後、武節将軍大名府正兵馬総管に任ぜられる。しかし、調練の帰り道に飲酒が原因で落馬しそれが因で死去した。
[編集] 補足
関勝という人物がこの時代に実在し、やはり大刀の名手であったことは史実であるが、もちろん彼が梁山泊の反乱に加わったと言う事実は無い。ただ、この関勝が水滸伝の関勝のモデルであることは確かで、梁山泊説話の原型となった書物には彼の名が多く見受けられる。南宋の大宋宣和遺事では楊志の花石綱運搬の仲間の一人として登場、梁山泊の三十六人の名簿には「大刀 関必勝」の名で記されている。
また明初に成立した雑劇『争報恩三虎下山』の中でも花栄、徐寧らとともに主役を張っているが、他の二人と同じく水滸伝とはかけ離れた情けない感じのする人物として描かれている。