雲龍久吉
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雲龍久吉(うんりゅう きゅうきち、ひさきちとも、1822年(文政5年) - 1890年(明治23年)6月15日)は、財団法人日本相撲協会が認定している第10代横綱である。本名は塩塚久吉。
柳川藩のお抱え力士。幕内通算成績は26場所127勝32敗15分5預55休。優勝相当成績7回。
2つの横綱土俵入りのうち、不知火型の考案者といわれている。これは、雲龍型と不知火型の名が途中で入れ替わったとする通説による。 しかし、雲龍と第11代横綱の不知火光右衛門の土俵入りが立派であったため後世に名のみが残され、正式に型の名をつける際によく調べなかったため入れ替わったとの見方もある。実際にこの二人の土俵入りがどのような型だったかは、錦絵や写真から判断されている。(両手を広げた不知火型で土俵入りする雲龍の錦絵が残されていたり[1]、不知火が雲龍型のポーズをとっている写真もある。[2])
また、実在性に乏しい横綱の初代「明石志賀之助」から3代目「丸山権太左衛門」を公式の横綱に認定したのは彼であるとされる。
彼の記した手記によれば、第17代横綱「小錦八十吉」までの横綱について記されている。
先代: |
歴代横綱 |
次代: 不知火光右衛門 |
カテゴリ: 江戸時代の人物 | 福岡県出身の大相撲力士 | 1822年生 | 1890年没