青山里戦闘
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青山里戦闘は、日本軍による間島出兵中の1920年10月、青山里と呼ばれる東満洲の長白山東北麓の密林地帯で、独立軍と総称される朝鮮人武装集団と交えた戦闘である。
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背景
1919年の3・1独立運動後、独立を目指す朝鮮人の一部が満洲で結成した武装組織が、越境して朝鮮に侵入し、良民や官公吏に被害をもたらした。こうした動きに日本政府は神経を尖らし、中国に討伐を要請したが、ほとんど成果があがらなかった。そうした中、1920年10月2日、琿春を馬賊が襲撃し、領事館警察署長を含む日本人13人が殺害される事件が発生した。これをきっかけに日本政府は間島への出兵を決意し、中国側との折衝を開始した。10月16日には吉林省都督から作戦の許可を取り付け、間島でのゲリラ掃討を開始した。
経過
間島出兵には、朝鮮軍から第19師団、シベリア出兵より帰還途上の第14師団歩兵第28旅団、ウラジオストク派遣軍からは第11師団と第13師団のそれぞれ一支隊が参加した。このうち実際に作戦を行ったのは第19師団のみで、他の部隊は封鎖と示威を行ったにすぎない。第19師団は磯林支隊が琿春方面、木村支隊が汪清方面、東支隊が延吉・和龍方面に配置された。磯林・木村支隊方面では戦闘らしい戦闘は起こらず、戦闘は専ら東支隊との間で展開された。
東支隊は10月21日から26日にかけて断続的に朝鮮人武装組織と戦い、朝鮮人武装組織は作戦区域から撤退した。その後、第19師団の諸隊は同年末まで掃討を続け、概ね目的を達して翌1921年初頭にほぼ撤兵し、同年5月までに完全に撤収した。一方朝鮮人武装組織は満洲を放棄し、レーニンが構想した遠東革命軍に参加するためシベリアに向かったが、そこで内紛と赤軍による武装解除により壊滅状態に陥った。
争点
琿春事件謀略説
韓国系の文献は、朝鮮人の参加が確証されていない琿春事件が、日本が間島出兵の口実を作るための謀略である、と主張している。しかし、既に原史料の調査から、謀略説は根拠のない政治宣伝にすぎないことが判明している。
韓国系の文献によれば、日本軍が馬賊の長江好を買収して琿春を襲撃させたのであり、日本人の犠牲者は共同作戦を取った彼の部下でない馬賊の手によるものである。しかし、被害の内容が実際と異なる、長江好の縄張りは西間島であって琿春は管轄外、長江好が日本領事館に被害を与えなかったという韓国の主張通りなら、そもそも出兵の口実が作れないなど、矛盾が多く信用に値しない。
日本軍の損害
韓国系の文献は、青山里戦闘を「青山里大捷」と呼び、独立軍の大勝利であったとしている。「青山里大捷」は韓国が言うところの「韓民族の独立運動」の中で重要な部分を占めており、大韓民国の「建国神話」の中核をなすと言っても過言ではない。韓国とは対照的に、北朝鮮版の「独立運動史」は青山里戦闘に言及していない。金日成パルチザンのみが唯一の武装抗日団体であったという北朝鮮の公式見解に反し、不都合だからであろう。
日本軍の損害について、朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』(1920)は「加納連隊長以下900余〜1,600余人」、韓国中央選挙管理委員会編刊『大韓民国政党史』(1964)は「千余人」、韓国国防部戦史編纂委員会『韓国戦争史』(1967)は「死傷3,300人」、趙芝薫『韓国民族運動史』(1975)は「加納連隊長以下3,300人」としている。年を経るごとに日本軍の損害は誇張されていっている。同時に、日本軍の兵力、独立軍の兵力も膨れ上がり、戦闘の主役が金佐鎮から李範奭に移っている。これは、李範奭が韓国の初代国務総理兼国防部長官を務めたことと無関係ではないだろう。こうした韓国側の主張は、日本軍の構成などに明白な誤りを含むだけでなく、戦史の常識から見てあまりにも不自然である。
日本側の史料によれば、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、わずかに戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けが取られている。また、間島出兵後の第19師団の備蓄兵器調査などからも、日本軍の戦闘損耗はきわめて軽微だったことが確認されている。
韓国側の文献に唯一実名が挙げられているのが「加納連隊長」である。『朝鮮独立運動之血史』は、日本領事の秘密報告書が加納連隊長の戦死を報告していると主張している。しかし、そのような領事報告は確認されていない。「加納連隊長」に該当する人物として考えられるのは、騎兵第27連隊長の加納信暉大佐のみであるが、加納信暉の名前が戦死者名簿にないだけでなく、間島出兵後の1922年まで連隊長を務めていたことが判明している。これは、青山里での戦果を裏付けるとされた唯一の資料が虚構であったことを意味し、韓国側史料の信憑性に疑問を投げかけている。
参考文献
- JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C03022770200、朝鮮軍司令部、『間島出兵史』
- 佐々木春隆、「韓国独立運動史上の「青山里大戦」考」 『軍事史学』59号 第15巻 第3号、22-34頁、1979年12月
- 佐々木春隆、『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』、1985年