青木均一
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青木 均一(あおき きんいち、1898年2月14日 - 1976年8月27日)は実業家。1968年勲一等瑞宝章。品川白煉瓦を特殊レンガ最大手に育てた。
静岡県生まれ。旧制京城中学校を経て、1922年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。
東京毛織、日本陶管取締役等を経て、1938年から1958年まで品川白煉瓦社長、1949年持株会社整理委員会委員、1950年から1955年まで国家公安委員会委員、1952年から1955年まで国家公安委員長、1958年から1961年まで東京電力社長、1961年同会長、1959年品川白煉瓦会長、1965年から1968年まで原子力委員会委員。財団法人日本電気用品試験所(現財団法人電気安全環境研究所)理事長、社団法人日本電気協会会長、日本経営者団体連盟常務理事・企業合理化委員長等も務めた。またオーバー・フォーティー・ベースボール・リーグ(14社の企業の45歳以上の役員、部長で構成する野球リーグ)の選手として、日本社会人野球協会会長も務めた。
記念して介護福祉士を目指す学生に対する公益信託青木均一記念介護福祉士奨学基金が作られた。