静神社
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静神社(しずじんじゃ)は茨城県那珂市にある神社である。 主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、相殿神は 手力雄命(たじからのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと)。 常陸一の宮の鹿島神宮に次ぐ常陸二の宮と称される。延喜式神名帳の名神大社。
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[編集] 起源と歴史
古文書等が焼失してしまっており、創建時期ははっきりしないが、『日本文徳天皇実録』に「嘉祥3年(850年)9月使を遣して静神社に奉幣せしむ」との記述があり、それ以前と考えられる。 鹿島神宮、香取神宮と共に東国の三守護神として崇拝され、豊臣氏や徳川氏から寺領などの寄進を受けたとの記録がある。 江戸時代に入っては、水戸徳川家の祈願所とされ、維持管理は藩費によってなされた。 元々は神仏習合であったが水戸藩第2代藩主徳川光圀が1667年に唯一宗源神道に改め、本殿、拝殿、神門等を造営したが、1841年に社殿が焼失し多くの社宝を失った。 このとき燃えてしまった御神木の切り株が現在も境内に残っている。 現在の社殿は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭により1842年に再建されたものである。
[編集] 祭事・年中行事
[編集] 所蔵文化財
- 銅印 - 国の重要文化財。徳川光圀が社殿造営した際に境内から発掘されたもの。印面には「静神宮印」とある。「宰相中将水戸源臣光圀謹記」と書かれた黒塗りの箱に納められている。
- 扁額三十六歌仙絵 - 県指定文化財。水戸第3代藩主徳川綱條が1705年に奉納したもの。火災により1枚は焼失してしまった。百人一首の札などでは背後から描かれている小野小町の肖像が、珍しく正面から描かれている。
- 陣太鼓:徳川斉昭の時代のもの。
- 「静神社」の掛け軸:三条実美公爵の書。
- 桜田門外の変の錦絵:静神社の神官の子で水戸藩士だった斎藤監物が桜田門外の変に参加した様子が描かれている。
[編集] 静神社と織物
主祭神の建葉槌命は武神であるが又の名を名倭文神(しどりのかみ)といい日本で初めて織物を織り出された神といわれている。 また常陸国風土記には、この地方は『静織りの里(しどりのさと)』と呼ばれ、初めて綾織物が織られた所と記されている。 これらのことから、静神社は広く織物の祖神として崇拝されてきた。 境内には、東京織物卸商業組合が寄進した『織姫』の像がある。 また、静神社のお使いは白蛇とされているが、これは白い機織り物が長くのびる様が白蛇が這うように見えたことからと言われている。
[編集] 静神社とサクラ
静神社の西側には、『日本さくら名所100選』にも選ばれている静峰ふるさと公園が隣接する この公園には、ヤエザクラを中心に約2000本のサクラが植えられている。
静神社の神紋は『丸に桜』である。
[編集] 手接足尾神社
本殿奥にある末社。 手足の健康を守護する神として、手差しや草履を納めて祈願する風習がある。
[編集] 弘願寺
元静神社内にあった臨済宗の寺院。 徳川光圀により分離された。 明治時代の廃仏毀釈により廃寺になったが、茨城県那珂市下大賀に再建された。 境内には、静神社から移植されたサクラやツツジ、イチョウなどの木々がある。 県指定重要文化財の「滝見観音図」を所蔵している。 又境内にある地蔵尊は『くすぐり地蔵』と呼ばれ、患部を尊像に当てて,くすぐりながら治癒を祈ると身代わりになってくれるといいわれている。
[編集] 所在地
茨城県那珂市静455
常磐自動車道那珂インターチェンジから6km
[編集] 外部リンク
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