馬韓
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馬韓(ばかん)は、紀元前2世紀末 - 4世紀中葉に、朝鮮半島南部にあった三韓(部族集団)の一つ。帯方郡の南、黄海に接し、東方は辰韓、南方は弁韓に接していた。後の百済と重なる場所にあった地域である。
馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。それぞれの部族には酋長がおり、大きな部族の酋長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼び、集落に城郭は無く、五十余国が存在した。その内の伯済国が百済になったとする説もある。
馬韓の言い伝えによれば、秦の労役から逃れてきた韓の難民たちに馬韓の東の土地を割き、そこに住み着いたのが辰韓人とされ、辰韓と馬韓の言葉は異なっていたと言われている。これより朝鮮南部が三韓といわれるのはかつて中国山東半島奥地にあった韓人が移住してきたと見なされていたふしがある。この中国大陸の韓、朝鮮南端部の馬韓弁韓、日本西部は大陸中国からは一括して、倭という民族単位で見なされてきた。
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