馮弘
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馮弘(ふうこう、 ? - 438年、在位430年 - 435年)は中国・五胡十六国時代の北燕の天王。字は文通。諡号は昭成帝。
馮跋の末弟。父は馮安。もとは中山公となっていた。馮跋の病が篤くなると、妾の宋氏が後継者の馮翼を差し置いて我が子を即位させようと謀った。馮弘はこの対立につけこんで宋氏を殺し実権を握ると、それを知った馮跋がショックのあまり急逝した。そこで馮弘は天王となり、翼ら馮跋の子全員を殺害した。
南朝宋へ入朝し、燕王に封ぜられた(435年 - 436年)。 北魏の攻撃を受け、高句麗に亡命するも、さらに圧力を受け、438年高句麗に殺害される。
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