高等官
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高等官(こうとうかん)は明治憲法下の官吏の等級の一つである。判任官の上位に位置していた。
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[編集] 概要
[編集] 親任官
親任官は高等官の最上位であり、官吏の最高位でもあった。親任官は天皇が直接任命する形式を採り、官記には天皇の署名である御名御璽とともに、内閣総理大臣が副署した。
[編集] 勅任官
親任官以外の高等官は、一等から八等まで分かれ、一等と二等を勅任官と呼んだ。勅任官は内閣総理大臣が記名した官記(辞令)を交付したが、併せて御璽も押印した。
[編集] 親補職
親補職は本来親任官が叙されるべき職位であるが、高等官一等が補されることがある職位である。但し実際には高等官一等が補されていた。
親任官は職位では無いので、異動してその職を離れても親任官のままだったが、高等官一等は親補職にある間だけ親任官としての待遇を受けた。
この職制は高等官一等たる軍中将が親任官職に補された場合に任じられた職位であり、文官には用いられることは無かった。
[編集] 奏任官
奏任官は三等から八等の高等官を指した。内閣総理大臣が天皇の裁可を得て任命する形式を採った。
[編集] 高等官になるには
文官は勤務期間や成績により判任官から昇進する方法と、所定の学歴を終えて試験に合格してなる方法があった。後者の例に高等文官試験(高文)がある。
武官は士官学校や兵学校を卒業してなるのが、一般的であった。兵から昇進する場合は、次のような形で昇進した。旧陸軍は少尉候補生や甲種幹部候補生を経て少尉(奏任官六等)になった。旧海軍は勤務期間と成績により下士官・准士官を経て少尉(特務少尉)になる者もいた。
[編集] その他
- 官庁には「高等官食堂」と「判任官食堂」があった。地方庁では、見習いは高等官食堂に入った。属(見習い)として採用されても高等文官試験に通ると辞令を待たずに「高等官食堂」を利用できた。
- 高等官と判任官とでは机の大きさまで違った。
- 文部省内の高等官に限り、直轄学校の教授を三年以上すれば文部書記官になる資格が認められていた。
- 大きな神社の宮司は高等官であった。勅任官、奏任官、判任官に分かれて、お祭の時の祭服は色が違った。勅任官は黒、奏任官は赤、判任官は空色であった。勅任官であるから宮中の式などに出る場合は、その祭服は着ずに金モールの普通の文官の礼服を着た。