黒シャツ隊
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ファシスト党 |
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黒シャツ隊(くろしゃつたい、イタリア語:camicie nere)は、ベニート・ムッソリーニが第一次大戦後、イタリアで組織した、ファシスト党の前身組織、あるいはファシスト党の武装行動隊。
[編集] 概要
この組織はファシズムの宣伝色として「黒」(ムッソリーニの父親がアナキストだったことも影響)を使用していたため、その黒いシャツを制服としていた。ムッソリーニは1921年5月の総選挙では31名を当選させ、同年11月に戦闘者ファッショはファシスト党(国家ファシスト党、ファシスタ党)に改組された。 この頃には党員数も約30万人に達していたファシスト党は黒シャツ隊の軍隊化を進め、社会党が過半数のボローニャ市会を襲撃し、市庁舎を占拠した。そして1922年10月24日、ナポリで開かれたファシスト党大会でムッソリーニは政権奪取を宣言し、28日には黒シャツ隊がローマに向かって進撃を開始した(ローマ進軍)。ムッソリーニ自身はミラノで待機し、黒シャツ隊はナポリからペルージャ近郊に集結した後ローマに向かった。はじめにローマに到着したのはローマ近郊から出発した分遣隊で、進軍を続けるうちに4万人にまで膨れ上がっていた。とはいっても士気は低く、装備も悪かった。11月25日、黒シャツ隊はローマを占領。国王と議会は、ムソリーニに秩序回復のための独裁権を与えムッソリーニ政権が成立した。1923年1月14日、イタリアの国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、黒シャツ隊を正規の国防軍として認可した。装備レベルは陸軍の平均レベルと同等だったが、補給に関しては優先されていた。第二次大戦中にリビア、ギリシャ、エジプトなどに送られたが、黒シャツ隊は全ての戦線で無残に敗退した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- [1] - Canti delle Brigate nere
- Sito neofascista