黒田重隆
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黒田重隆(くろだ しげたか、永正5年(1508年) - 永禄7年2月6日(1564年3月18日))は戦国時代の武将。黒田高政の子。黒田職隆の父であり、著名な黒田孝高(如水・官兵衛)の祖父に当たる。
若いころは山陽地方随一の商業都市として繁栄していた備前の福岡(現在の岡山県長船町)に在住していたと伝わる。その後目薬を売ることで財を成し、播磨の国人になったという。はじめ竜野城主赤松政秀に仕えたが、ほどなく御着城主小寺政職に主を替え、重用され、姫路城の城代となった。その後重隆によって姫路城の修築が行われたと考えられている(築城そのものを重隆が行ったという説もある)。