3dfx
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3dfx Interactive(スリーディーエフエックス インタラクティブ)は、かつてアメリカ合衆国に存在していたハードウェアメーカー。3dfxのブランドでGPU及びビデオカードを製造していた。
1996年にゲーム向けの3Dに特化したVoodooというGPUを発表。抜群の高性能で一世を風靡した。その後もVoodoo2、更に2Dの処理も可能となったVoodoo Banshee、Voodoo3などを発表し、順調に業績を伸ばした。また、独自の高性能APIである「Glide」に対応するゲームも数多く発売され、特にゲーマーの間で圧倒的な支持を得た。そして、1998年にはゲーム向けビデオカードの分野で首位についた。
しかし、Voodoo3の後継機種の開発が遅れる中、ライバルのNVIDIA社やATI社が高い3D処理能力をもつGPUを相次いで投入したため、シェアは縮小した。2000年9月、ようやく後継のVoodoo4/5を投入するも、既に市場は他社に奪われており、業績は悪化の一途をたどった。そしてそれからわずか三ヶ月後、その主要技術と資産は7000万ドルの現金と100万株のNVIDIA社株と引き換えにNVIDIA社に売却され[1]、3Dfx社は業務停止に至った。
[編集] 歴史
1996年に登場したVoodooは、一般的なPCにとりつけるとそのPCのVGAに代わって3D描画の高速化を実現するグラフィックアクセラレータである。その仕組みは、既存のグラフィックボードを抜かずにPCIバスにVoodooを追加し、既存のグラフィックボードのモニタ出力からVoodooに接続、そこからさらにモニターに接続するというもので、3D利用時に画面出力がVoodooに切り替わるというものであった。 同時期に同じく3D専用アクセラレータとして、NECのPowerVRが存在していたが、こちらは既存のグラフィックボードのVRAMに直接表示データを書き込んで表示するというものであったので、既存のグラフィックボードの性能にも左右される、チップセットなどと相性があるなどの問題があった。
1998年に、SLI(Scan Line Interleave)が採用されたVoodoo2の発売によって、文字通り世界最強の座を欲しいままにした。 SLIは3Dfxの開発した技術で、Voodoo2を2枚挿すことにより、画面の走査線を奇数と偶数で分け、それぞれのVoodoo2チップが分担して描画する技術。 これは当時の3D描画表現の限界を遥かに突き抜けており、性能面で他社を何歩もリードしていた。優れた3Dゲームが多数生まれる原動力にもなった。 しかし、Voodooはビデオカードではなく、あくまで3D描画のための補助装置であったので、通常のVGAビデオチップ、ビデオカードメーカーとの市場の住み分けが出来ていた。
3Dfxの業績が絶頂に達したのは、同年に2D/3Dが描画できるビデオチップ、Voodoo Bansheeを発売開始してから。3Dfxで初めて2Dのアクセラレーションを搭載したチップであったが、当時の他のグラフィックボードと比べても非常に高速で、かつ3D機能にはVoodoo2の技術が投入されていて、2D/3Dともに非常に高速であった。 これにより、Voodooは補助装置からメインのビデオチップとなり、他社とシェアを争うようになったわけであるが、台湾、日本など安価で優れた製品を開発できるアジア勢のビデオカードメーカーもこぞってVoodoo Bansheeを採用したビデオカードを製造し、性能、価格共に素晴らしいビデオカードとして、市場にはVoodoo Bansheeビデオカードが溢れる程になった。
1998年末、3Dfxは、ビデオカードのメーカーとして有名なSTB社のメキシコ工場を買収すると発表した。純正ビデオカードの製造・販売のためで、PCメーカーへのOEM供給も狙ったのであるが、Voodoo Bansheeに代わる新チップ、Voodoo3カードは自社工場での製造が中心となり、ビデオカードメーカーにはVoodoo3チップは積極的には供給しない方針への転換でもあった。
これはNVIDIAやATIのようなビデオチップベンダから、Matroxのような自社ブランド重視のメーカーへと脱皮する試みだったようだが、せっかく良好な関係にあった過去の取引先を断ち切ってしまうやり方は、あまりうまい方法ではなかったようだ。 それまで3Dfx社の製品を採用していたビデオカードのメーカーは、3Dfxのチップが今後入手困難となることから、かなり性能が劣るとはいえS3のSavage4や、Voodooには無い優れた特質をもつNVIDIAのRiva TNT2を採用するしかなくなった。 3Dfx社といえば、肝心のVoodoo3を、入手したばかりの自社工場のみで製造するという試みを行った結果、発売が遅れに遅れた。
1998年11月に発表されたVoodoo3は、実際に販売開始されたのは1999年4月。その間の収益悪化は避けられず、しかもいままで良好な関係だったビデオカードのメーカーはすでに他社のチップを採用する方針となっており、もう引き返すことは出来ない。 シェアを自ら明け渡した格好であった。
しかし、発売されたVoodoo3 3000の3D性能は16bitカラーレンダリングに留まることでゲーム向けでは高い性能を叩き出し、ゲームユーザーに人気は高かった。
また、奇妙な大型コードつきのTV録画、ビデオキャプチャ機能付きのVoodoo3 3500TVも発売され、話題を呼んだ。 (すでに発売されていたATIのAll-In-Wonderに比べ、キャプチャ性能は遥かに劣っていたが3D描画性能はやはり当時最強であった。)
しかし、1999年の9月にはNVIDIAがGeForce 256を発表したため、3D性能競争でも2位に転落。 この頃から、常に3D性能ナンバー1、世界最強のパフォーマンス・メーカーであった3Dfxの斜陽が始まる。
NVIDIA社がセールス、開発に大変積極的で活発に動き、GeForceのグレードが上がる中、期待されていた3Dfxの新チップVSA-100をSLI搭載したVoodoo5はまたもや発売が遅れに遅れ、2000 年の6月にやっと登場。 VSA-100をシングル搭載した低価格帯向けのVoodoo4 4500は同年9月に発売したが、すでに高性能VGAでは同年5月に登場した同程度の性能を持つNVIDIAのGeForce2 GTSが普及しきっており、低価格帯向けではGeForce2 MXが人気を独占していた。 かつてVoodoo Bansheeなどの3Dfx製品を購入していたアジア勢のビデオカードのメーカーは、この時はもうNVIDIAのチップを採用しており、市場競争で価格も下がっていく中、高価な自社ブランドの新製品を出しても、取り残された感は否めなかった。
2000年11月にはせっかく手に入れた工場も売却。2000年12月にはついにグラフィックスに関連する資産をNVIDIAに売却し、解散することになった。2001年9月買収完了。
3Dゲーマーにとっては忘れることの出来ない伝説的な企業であるが、まさに彗星のように現れて世界を席巻し、消えていった。
VSA-100を4つ搭載する最強Voodoo、Voodoo5 6500 AGPの発売も、結局は幻と終わった。
なお、Voodoo2の時代に開発されたSLI技術は、NVIDIAがPCI Express用に改良し、Geforceシリーズの機能の1つであるSLI(Scalable Link Interface)や考え方がATIのRAGE FURY MAXXに取り入れられ、またCrossFireとして今も生き続けている。マザーボードの接続構造などは異なり、画面を奇数・偶数走査線に分けて描画する3dfxのSLIに対し、画面を上下2分割(或いは搭載チップ数で分割)、フレーム毎に担当GPUを分ける方式で3dfx SLIが潜在的に持っていたメモリコヒーレンシの解消を狙ったものである。 同じSLIの名称にこだわったnVIDIAの姿勢からVoodoo2のSLI接続を擁していた3Dfx社を買収した経緯などから3Dfx社技術者の影響力とnVidia社の飽くなき征服欲を感じることができる。 また、ATI RAGE FURY MAXXでは、AFRという考えのもと各フレームを交互に描画する事で3D描画性能をアップ させる事を行っている、これが後のCrossFireにも使われている。
[編集] 関連項目
[編集] 注釈
- ^ NVIDIA To Acquire 3dfx Core Graphics Assets December 15, 2000 NVIDIA Press Release