K作戦
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K作戦とは太平洋戦争中の日本軍の作戦。二式大型飛行艇(二式大艇)による真珠湾攻撃を企図したもの。
[編集] 概要
日本軍は潜水艦伊7、伊9の偵察により、アメリカ軍が灯火管制もせずに真珠湾攻撃の損害の復旧をしていることを知り、これを妨害するために二式大艇による真珠湾攻撃を計画した。参加兵力は2機で、ウオッゼを出発し、途中フレンチフリゲート礁で潜水艦から燃料補給を受けるという計画だった。
1942年2月20日、ラバウル東方に米機動部隊が出現。さらに、24日にはウェーク島が空襲を受け、作戦に参加する潜水艦が索敵に従事したため、作戦は2日延期された。
二式大艇は2月12日に横須賀を出発し、14日にマーシャル諸島ヤルート島に到着した。また、2月中旬までに伊15、伊19、伊26は航空燃料補給装置を完成した。
3月2日、二式大艇はウオッゼに移動した。給油を行う潜水艦は3日早朝までにフレンチフリゲート礁に進出した。
4日0025(日本時間、以下同じ)、二式大艇2機はウオッゼを出発した。途中伊9からの長波照射による誘導を受け、1300にフレンチフリゲート礁上空に到着した。1350に着水し伊15、伊19から給油を開始した。1600、フレンチフリゲート礁を離水し、ハワイへ向かった。ネッカー島(1657)、ニイハウ島(1825)、カウアイ島(1935)と通過し、2110オアフ島に到着した。1番機は2110、2番機は2130に爆弾を投下し帰途についた。1番機は5日0920ヤルート島に帰還。2番機は損傷があったためウオッゼに向かい5日0910に到着した。
作戦は成功したが、アメリカ側の被害はほとんどなかった。
[編集] その後
二式大艇はミッドウェー島とジョンストン島の偵察に投入されることとなり、3月10日ウオッゼを出発したがミッドウェー島に向かった機は未帰還となった。
5月30日、第二次K作戦のためフレンチフリゲート礁に進出した伊123が米艦艇を発見。作戦を1日延期するも警戒が厳重であったため作戦は中止となった。このため、日本軍はハワイ方面の敵情を確認できずにミッドウェー海戦を戦うことになった。