利用者‐会話:Tawashi2006
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[編集] ウィキペディアにようこそ!
こんにちは、Tawashi2006さん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!
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あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年11月20日 (月) 03:17 (UTC)
[編集] 橿原市の編集について
どうも、ととりんです。ご指摘の通りレベルがひとつながりになっているのはまずかったと思います。すいませんでした。対策として、1.今井町物件を1レベル頭下げ、2.他地区分を定義で明示。としてみました。前回の修正は、箇条書きの中で今井町の説明部分だけが長めだったので、独立させた方が読みやすいかなと思ったので変更したのですが、配慮が足りませんでした。もし他にいい案があればこの形にはこだわりませんので、さらに改良を加えて頂けたらと思います。--ととりん 2006年12月5日 (火) 09:34 (UTC)
[編集] 記事独立のお願い
Tawashi2006さんこんばんは。突然で恐縮ですが、2年近く前の伊勢神宮の編集に著作権侵害のおそれがあることがわかり、分割された伊勢神宮を構成する神社と施設が初稿以降すべて削除される可能性が出てしまいました。ただし、伊勢神宮を構成する神社と施設のうち、茶室と神宮萱山と苗園はTawashi2006さんの編集しかないようですから、若干の加筆で独立した記事にしてしまうことは問題がないと思われますので、お手数ですが、独立した記事にしてしまっていただけないでしょうか。Tawashi2006さん以外の利用者が独立した記事にしてしまうと履歴継承の問題が生じてしまい、削除対象が増えるだけになると思いますのでよろしくお願いします。N yotarou 2006年12月22日 (金) 16:19 (UTC)
- 伊勢神宮伊勢神宮を構成する神社と施設の削除依頼の件は確認しました。ただし、「神宮茶室」と「神宮萱山」「神宮苗園」の独立した記事の件は少し考えさせて下さい。理由は以下の通り、
- 3記事個々に新規投稿となると、単独の記事とする程のボリュームのある内容とは思えない。また3件を1記事では他の施設との分類上中途半端である。
- 「伊勢神宮を構成する神社と施設」の方向性が決まらない内に独立させてしまって良いか疑問である。
- 年末で私的に多忙なので、中途半端に投稿したことが元で後始末に追われたくない。(わがままな様ですが、妻も子も仕事もある身ですので・・・)
- 上記3点により、ご依頼の件に対する解答は保留させて下さい(おそらく年内は無理です)。なお、自分が投稿した分の両記事の履歴差分は既に確保済です。勝手言うようですみませんが、よろしくお願いします。Tawashi2006 2006年12月23日 (土) 16:39 (UTC)
- お返事ありがとうございます。確保済みでしたら、結果が出てからゆっくり考えて頂ければ幸いです。それでは失礼します。少し早いように思いますが、よいお年を。N yotarou 2006年12月23日 (土) 16:42 (UTC)
[編集] 赤福餅の宇治橋へのリンクについて
リンク先を変更するだけの編集でもデータベース上では全文が保存されるそうなので、分割を見越してあえてあのような措置にしていました。赤福を理解するのにどうでもいいようなまめ知識ですし、慣れている人には赤リンクの場合に記事がないのはわかりますし、1年以上「五十鈴橋」とデタラメ(五十鈴橋って四郷小学校の近くの欄干が数年横たわってる橋だろって突っ込みはさておき、このデタラメは既にかなり広まってしまっています。まれに新橋だと勘違いする人もいるようです)が書いてあったことを思えば今さら1か月程度赤リンクでもさほど問題はないはずですし……が理由です。でも宇治橋へのリダイレクトにしておかなかったのは私のミスでした。ところで内宮前の宇治橋の最初の加筆から著作権侵害のような許容範囲のようなのを見つけてしまったので、分割の話はなかったことにして、著作権のクリアな記事を新規で投稿する方がよさそうな感じです。その場合には宇治橋の歴史が室町以降であるとか、当初は遷宮での架け替えが行なわれず数回流されたとかの話も盛り込む方がいいと思います。最近流されないので当初より改良されていると思うのですが、そういう資料はなさそうですね。神宮文庫に行けばあるのかも知れませんが、畏れ多くてちょっと近寄りがたいです。
ところで赤福の箱の絵の説明が300年記念の展示にあったように思ったのですが、メモしないで3歩以上歩いてしまったので忘れてしまいました。典拠として加筆していいのならメモして来たんですが。N yotarou 2006年12月27日 (水) 16:27 (UTC)
- あまり気にしないで下さい。赤リンクになっているのが元で、不注意な投稿者によって(分割することが確定する前に)新規投稿されてしまうことを防ぎたかったただけです。
- また、「宇治橋に変更するな」とコメントされていたため、誤解を防ぐために連絡させて頂いたまでのことで、抗議の意味合いはありません。
- ところで、宇治橋が最近流されていない理由はあまり明確な答えは出てこない可能性があります。おそらく(個人的な憶測ですが)以下のような理由によるのではないかと思います。
- 遷宮に合わせて20年毎に架け替えられる様になってから、老朽化する前に更新されている。
- 江戸期の乱伐が原因で荒廃していた宮域林への植林が大正期以後進み、(増水することはあっても)橋脚に深刻なダメージを与える流木や岩石が流れてくることが少なくなった。
- 伝統的な工法にないトラス構造を採用し、ボルトを用いて剛結させ、耐久性が向上した。
- 各所で宇治橋が紹介される際には大鳥居や橋板のすり合わせといった橋の上から見える部分の話ばかりで、上の3に関することを触れられた記述を私はみたことがありません。
- これは安全性を優先するため伝統的な工法を捨てざるを得なかった。そのことを神宮側が公表したくないため伏せている(あるいは紹介者側が神宮の伝統にふさわしくない技術として取り上げなかった)ため、橋の下部構造や耐久性向上の技術が紹介されない原因のような気がします。
- ・・・といっても、通常立入禁止場所のことなので、話題性に欠けるため紹介されていないだけかもしれません。
- いずれにせよ宇治橋そのものが神の依り代ではないし、両側の鳥居も含めた巨大な結界として、また皇大神宮への重要なアクセスとして堅牢に造られているという事実だけでいいのではないでしょうか。いずれにせよ資料収集(とくに断定的な根拠になるもの)は難しいように思います。Tawashi2006 2006年12月28日 (木) 12:33 (UTC)