TOP-J
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TOP-Jは、かつて渋谷を中心に活動していた、いわゆるチーマーと呼ばれる不良少年の集まりである。ただし、本人たちは自身を『チーマー』と称することはなく、外部の人間がチームの構成員(=チーマー)という呼称を与えていた。
渋谷を中心として活動していた、1977年生まれ世代のイラプション(明大中野高校の生徒を中心に構成されたチーム)、PBBなどが合併して結成された。一説によれば、両者の背後に存在していた暴力団組織が、イラプションとPBBを対立させ、負けた方が解散するように仕向けたが、結局合併しTOP-Jとなったと言われている。
諸事情により2代目が立てられる事はなく、初代のみで解散した。 この件について、TOP-Jのキーパーソンを名乗るT氏(実際、彼は同チーム内でNo.2とか副代表と呼ばれていた)が、 メンズエッグのインタビュー記事の中で『少年刑務所を出た頃には、小さかった宇田川警備隊が100人近くになっていたり、ブットバースというチームがいたりして』『TOP-Jの半分くらいがKGBというチームに入っちゃってて』『あえて伝説にして一代で終わらせようと思った』などと語っている。 しかしブットバースはTOP-Jより先の世代のチームであり、事実と前後関係が合わない。
このインタビューでT氏は、 「TOP-Jの解散後は4代目用賀喧嘩会に合流して暴れまわった。その頃は、東洋ボール殺人事件や芦川公園殺人事件とかも起こっててメチャクチャだった」などと、実際にあった殺人事件についても言及している。
なお、このチームのリーダー井上勇氏は短期間ではあるが、上北沢黒帝会のリーダーも務めたことがある。 また同氏は、1998年11月22日、東京大学の駒場祭にて宮台真司氏主宰の討論会にも招かれた(↓のHPに詳細あり)。