はるき悦巳
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はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は日本の漫画家。大阪市西成区西萩出身。本名は「はずかしい」ので非公表としている。
第26回(昭和55年度)小学館漫画賞受賞(『じゃりン子チエ』)。
主に人情物を得意とする。つげ義春を深く尊敬している。
[編集] 来歴
中学1年の時に大阪市住吉区に転居。私立浪速高校を経て多摩美術大学油絵科卒業。1年半、マネキン屋でサラリーマン生活を送る。本人曰く「自分は生来の怠け者で、面倒くさいことはいやだ!」というのが持論だという。また、はるき自身はタバコは喫煙するが、下戸であるという。同時に、「じゃりン子」の準主役の竹本テツ(チエの父)が喧嘩や博打とカリン糖は好きだが、酒が飲めない下戸という設定のキャラクターは、はるきの私生活の投影でもあるらしい。
1978年、31歳で「政・トラぶっとん音頭」(平凡パンチOh!)で漫画家デビュー。その頃に大学の同級生の女性と結婚し、1981年には長男が誕生した。
代表作の『じゃりン子チエ』は、初め短期連載の設定で漫画アクションに1978年に連載が始まった。ところが、はるきの予想に反して、「じゃりン子」は人気が上昇し、19年後の1997年まで連載された。「じゃりン子チエ」は、大阪市に住む小学生・竹本チエとその家族・仲間が取り巻く人情コミックとして、日本中に人気を集め、アニメ・舞台にもなった。また『日の出食堂の青春』はNHKでドラマ化されたほどである。
「じゃりン子チエ」連載中に当時住んでいた東京の喧騒さに嫌気が差して、家族と一緒に関西に戻り、神戸に移り住んだ(現在は西宮在住という)。
その後、「じゃりン子チエ」連載終了後に描かれた『帰って来たどらン猫』が単行本化して、そのあとがきによると、「じゃりン子チエ」が19年目で連載を終了したのは、年老いた親の介護問題が深刻化したからだと、はるき自身が述べている(その親は既に他界したらしい)。
また、はるき自身はインターネットに疎く、そのためにPCをやらず、携帯電話も苦手のようであり、自らアナログ人間だと自覚してるようである。
2005年現在、双葉社Webマガジンにて『帰って来たどらン猫2』を連載中。 2006年3月31日完結。全53話。
周知の通り、はるきの漫画の特徴はスクリーントーンを全く使用していないことである(但し、『日の出食堂の青春』では一部のみスクリーントーンを使用している)。
余談になるが、「じゃりン子チエ」に登場する小林マサルは作者自身で、その相棒のタカシは元アシのいわしげ孝がモデルらしい。本人曰く「俺にはマサルの気持ちがようわかるんですよ。まさにその嫌味なキャラは俺自身ですわ」と若い頃にその心情を述べたことがあり、はるき自身がマサルに対して愛着があるといえよう(同時に『ガチャバイ』の主人公の梶沼咲もマサルと似たキャラのようだが…)。
[編集] 作品
- 政・トラぶっとん音頭
- 伝説
- 舌町物語(原作荘久一)
- ドンチャンえれじい
- じゃりン子チエ
- 日の出食堂の青春
- 力道山がやってきた
- ガチャバイ
- 右向け右!
- どらン猫小鉄
- 帰って来たどらン猫
- 帰って来たどらン猫2
[編集] アシスタント
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