みそのウイングシティ
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みそのウイングシティ(みそのういんぐしてぃ)は、さいたま市緑区および同市岩槻区にまたがる、約320haのエリアである。埼玉県、さいたま市、都市再生機構によって、土地区画整理事業が進められている。
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[編集] 地区
主に、以下の4地区に分かれて計画・開発が行われている。
- 浦和東部第一地区 (うらわとうぶだいいちちく、浦和美園駅の西側一帯)
- 浦和東部第二地区 (うらわとうぶだいいちちく、浦和美園駅の東側一帯で最も広い面積を持つ)
- 岩槻南部新和西地区 (いわつきなんぶにいわにしちく、浦和東部第二地区の東側で、唯一岩槻区に属する地区)
- 大門・下野田地区 (だいもん・しものだちく、国道463号バイパス南側の狭い地域)
[編集] 沿革・歴史
もともと、この一帯は湿地帯であり、地区西側の台地に民家や農家が点在していたほか、東側の低地部では主に植木など観賞用植物の栽培が行われていた。住宅地としては、エリアの東端に野台団地があったのみである。 1924年(大正13年)に蓮田-岩槻間で開業した武州鉄道が、1928年(昭和3年)には岩槻より南下してエリア内にの武州大門まで開業しているが、同鉄道の経営悪化により1938年(昭和13年)に廃止された。その後、同鉄道の廃線跡を利用して国道122号線が開通し、1980年(昭和55年)には東北自動車道が開通。当エリアに隣接する位置に浦和インターチェンジおよび浦和本線料金所が開設されている。
土地区画整理事業は、1985年度(昭和60年度)に浦和市沿線地域整備構想の策定が着手され、次いで1986年度(昭和61年度)に岩槻市沿線地域整備構想の策定も着手されたことに始まる。1993年度(平成5年度)には国際アメニティタウン構想基本方針及び推進方策の検討が行われ、1999年(平成11年)6月に都市計画決定がなされた。2000年(平成12年)3月の事業認可を経て、2001年(平成13年)11月20日に起工式を挙行。2002年(平成14年)5月、地域愛称を公募の結果「彩の国ウイングシティ」に決定。そして平成18年4月、街開きが行われると同時に「みそのウイングシティ」に改称された。 この間の2000年(平成12年)3月には、埼玉高速鉄道線が開業。2001年(平成13年)10月には、エリアの北側に埼玉スタジアム2002がオープンし、2002年(平成14年)には、埼玉スタジアム2002にて2002 FIFAワールドカップ™の試合が行われている。
[編集] 現状
2006年4月、浦和東部第二地区の国道463号バイパス南側にイオン浦和美園ショッピングセンターがオープンした。また、同地区内で大型分譲マンションセンターフィールド浦和美園が建設中である。
[編集] 交通・地理
[編集] 鉄道
[編集] バス路線
- 大01 浦和美園駅~大宮駅東口
- 浦02・浦02-2・浦02-3・美01 埼玉スタジアム・浦和美園駅~浦和駅西口
- 岩11・岩11-2・岩11-3 東川口駅北口~岩槻駅
- 美80 浦和美園駅~さいたま東営業所
- 越12 越谷駅西口~東川口駅北口
- 越谷駅西口~埼玉スタジアム