アウスグライヒ
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アウスグライヒ(「和協」「妥協」、Österreichisch-Ungarischer Ausgleich, ハンガリー語: Kiegyezés)とは、オーストリア帝国の外交政策、1867年頃の政治的戦略名。結果、オーストリア・ハンガリー帝国の誕生につながる。
1867年、時のオーストリア帝国は、イタリア統一戦争・普墺戦争等の戦争に敗北し、外交においてはロシア帝国との関係を悪化させ、その世界的地位を低下させてきた。そのような中、多民族国家であるオーストリア帝国内の諸民族は活発に自治・権利を獲得するための運動をしていた。連邦的改変を求める声が諸民族からあがったが、権利を失いたくない支配者階級のドイツ人の抵抗と国色の変化を恐れた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の反対もあり、マジャル人(ハンガリー人)と協力して帝国内の諸民族を抑えることとした。このドイツ人とハンガリー人との妥協をアウスグライヒという。
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