アルジェリア侵略
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アルジェリア侵略(アルジェリアしんりゃく, 1830年)は、復古王政下のフランスが、オスマン帝国領のアルジェリアを侵略した事件である。
[編集] 概要
アルジェリア侵略は、フランス国王シャルル10世が国民の不満をそらすために断行した対外侵略である。1827年アルジェ太守フサイン・イブン・パシャが、自分を愚弄した駐フランス領事に腹を立て彼の頬を扇(団扇のようなもの)で叩くという「扇の一打事件」が起きた。この事件を口実に、フランスはアルジェリア侵略を決行した。
1830年6月14日、シャルル10世はマルセイユ商人と共謀して、フランス軍のアルジェリア上陸を成功させる。ブルモン将軍率いる3万7000人のフランス軍はアルジェのカスバでアルジェ太守フサイン・イブン・パシャの軍と交戦。これを破った。6月29日には太守邸を守る砦を包囲。7月4日には砦も破り、邸の攻撃をはじめる。7月5日、フサイン・イブン・パシャは降伏した。
この年の7月29日には七月革命が起こり、シャルル10世は退位する。しかし、彼の「業績」は次の政権にも引き継がれ、フランスからの移民がアルジェリアに送り込まれるなどフランス支配の既成事実が作られ1834年にはフランスに併合される。アルジェリア侵略から132年間、フランスはアルジェリアを支配した。アルジェリアの独立は1962年となる。