アレクサンドル・サムソノフ
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アレクサンドル・サムソノフ(Александр Васильевич Самсонов , ローマ字表記:Alexandr Vasilievich Samsonov, 1859年11月2日 - 1914年8月29日) は、ロシア帝国の軍人。騎兵大将。タンネンベルクの戦いで悲劇的な最期を遂げた将軍として名高い。
エカテリノスラフ県の貧しい貴族の生まれ。キエフのウラジーミル中学校卒業後、1875年、ペテルブルグのニコラエフスク騎兵学校に入校。
有能な軍人であり、露土戦争に従軍し、名前入りの武器を授与される等、果敢な戦闘ぶりを高く評価された。1884年、参謀本部アカデミーを卒業し、カフカースに勤務。日露戦争では、ウスリー騎兵旅団長、シベリア騎兵師団長として奉天会戦などで活躍し、中将に昇進した。
1906年、ワルシャワ軍管区参謀長。1907年、ドン・コサック軍のナカズノーイ・アタマン(наказной атаман;ロシア帝国任命のコサック隊長)となる。その後トルキスタン総督などを歴任し、1910年、騎兵大将となる。
第一次世界大戦の勃発した1914年には東プロイセン侵攻の第2軍の司令官に任じられる。世に言うタンネンベルクの戦いでは不利な状況の下で敢闘したが、パーヴェル・レンネンカンプ将軍率いる第1軍の支援が得られず第2軍は壊滅。自身は馬上となって逃げたが敵に追いつめられ拳銃自殺による悲劇的な最期を遂げた。
なお、レンネンカンプが苦境に陥ったサムソノフの第2軍を支援しなかったのは両者が日露戦争時から折り合いが悪く、奉天駅頭で殴り合いに至ったことを根に持ったためという説がある。