アントニオ・チェスティ
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マルカントニオ・チェスティ(Marc' Antonio Cesti, 1623年8月5日 - 1669年10月14日)はイタリア・バロック音楽のオペラ作曲家。
フィレンツェに生まれ、カリッシミに師事した後、郷里で活動。1660年に教皇庁に地位を得る。1666年にウィーン宮廷副楽長に就任し、1669年に同地で没した。チェスティは専らオペラ作曲家として知られており、最も著名なのが《ラ・ドンLa Don 》(ヴェネツィア、1663年)と《黄金のりんごIl Pomo d'oro 》(ウィーン、1668年)である。チェスティは室内カンタータも作曲しており、それらのアリアの純粋で繊細な調べは、舞台よりも小さな空間にふさわしい。