古典派音楽
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古典派音楽(こてんはおんがく)は、クラシック音楽の歴史において、1730年代から1810年代まで続いた時期の芸術音楽の総称である。
目次 |
[編集] 概説
どの時代区分にも当てはまることだが、始まりと終わりの時期は、前後する区分と重なり合っており、すなわち古典派音楽の始まりはバロック音楽の終焉と、古典派音楽の終わりはロマン派音楽の勃興と並行している。したがって古典派音楽の盛期だけを取り出せば、バロック音楽とロマン派音楽の中間に位置しているとも見なし得る。
一般的に古典派音楽として連想されやすいのが、この盛期古典派音楽で、「ウィーン古典派」の俗称で知られている。その有名な中心人物こそ、オーストリア帝国の首都に集ったヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの3人に他ならない。しかしながら、彼ら自身や人脈の活躍、作品の流通を通じて、その様式は欧米各地に広まっており、たとえばムツィオ・クレメンティやヤン・ドゥシーク、ルイジ・ケルビーニ、フリードリヒ・クーラウ、イグナツ・プレイエル、アントニーン・レイハらの国際的な活動のもとで、ヨーロッパのほぼ全土において、ウィーン古典派を中心とした共通の作曲様式をとるようになった。この意味で古典派の音楽様式は普遍主義的・国際主義的であり、民族主義に影響されたロマン派音楽との違いはおのずと明らかである。また、ウィーンを中心に国際的な活躍をした作曲家に、少なからずボヘミア出身者がまじっていることも注目すべきであろう。
前後する時代との比較から浮かび上がる特徴として、楽曲の均斉感と合理的な展開が重視され、ソナタ形式が発展したことである。また機能和声法が確立され、調性が教会旋法から独立した。この時代の代表的な楽種として、交響曲や協奏曲、ピアノソナタや弦楽四重奏曲、演奏会用序曲などが盛んに作られた。
[編集] 「古典」とは
西洋文化において「古典主義」とは、古代ギリシャ文明や、ローマ帝国におけるヘレニズムのもとで展開された芸術に、最高の理想美を見出し、自らの作品をその完成度に近づけようとする思想や創作姿勢のことをいう。ギリシャ=ローマの学芸の復興を目論んだルネサンス以降の芸術や学問では、つねにこのような思想が底流として控えていたが、キリスト教の世俗的な権威が低下した18世紀後半は、とりわけその傾向が著しく、美術界でのヴィンケルマンやジャック=ルイ・ダヴィッド、ドミニク・アングル、文学界でのゲーテやシラー、思想界のフランス百科全書派などの啓蒙思想家のほか、ゴットホルト・エフライム・レッシングやイマヌエル・カントがある。また、自然への回帰や客観的・合理主義的な世界認識という点において、ニュートンの物理学はまさしく17世紀を代表する知性の一つである。
それでは音楽において、古典派音楽が古代ギリシャ・ローマ文化の復興を目論み、実現したかというと、そうではない。古代の音楽文化は断片の解読でしか知られていなかった。「ウィーン古典派」の3人のうち、特にベートーヴェンは古代ギリシア文学から大きな霊感を得た事が知られているが、かといって古代ギリシア音楽そのものの復興を目指していたわけではない。しかしながら古典派音楽は、「ヘレニズム音楽の復興(と思い描かれてきたこと)」を一点だけ実現している。それは盛期バロック音楽と比較して明らかなように、重層的なポリフォニー音楽からの解放ということである。ルネサンス音楽末期から初期バロック音楽への移行期に、フィレンツェの文化サロン「カメラータ」とその芸術家たちは、当時発見され、解読が進められつつあった古代ギリシャの単旋律の楽譜の断片を根拠として、ルネサンスのポリフォニー音楽を攻撃し、モノフォニー音楽の賛美と、オペラというジャンルの創出に向かったのであったが、結局のところポリフォニー音楽が17世紀に衰えることはなく、それどころか、フーガの発展へと向かったのである。これに対して古典派音楽は、たとえ一時ではあったにせよ、前時代的なポリフォニーを放棄し、モノフォニー音楽の模範的な実現という面において、「古典的な理想美」を体現することに成功したのである。ちなみに18世紀後半を代表する思想家のジャン=ジャック・ルソーも、ポリフォニー音楽を攻撃している。
ちなみに、「古典」の元来の意味から派生し、単に「至高の、完全無欠の」「完成された、完璧な」という意味や、後世への影響力の永続性から、「classic」という語が使われる場合もある。たとえば「クラシック音楽」がその端的な用法であり、そのほかにも、フランドル楽派(とりわけジョスカン・デプレ)は「古典」であると言う場合、パレストリーナは宗教音楽の「古典」であると言う場合、あるいはコレルリの作品は室内楽の古典であると言う場合や、フランソワ・クープランの音楽はフランス音楽の古典であると言う場合、バッハはすべての音楽の古典であると言うような場合である。
[編集] 過渡期(1730年-1760年):ロココとギャラント、多感主義
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[編集] 前古典派[初期古典派](1760年-1775年)
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[編集] 盛期古典派(1775年-1790年)
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[編集] 後期古典派(1790年-1825年):古典派音楽の衰微と初期ロマン主義へ
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