ウィリアム・ルブルック
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ウィリアム・ルブルック(Guillaume de Rubruquis、1220年? - 1293年?)は、フランスのフランシスコ会修道士。読みはリュブリキとも。1253年にフランス国王ルイ9世の命を受けて、翌年モンゴル帝国の都カラコルムを訪れ、モンケ・ハン(憲宗)に謁見した。その時の見聞にもとづき、モンゴル・中央アジア各地の地理・風俗・宗教・言語などを伝える貴重な旅行記(「東方諸国旅行記」)を書き残した。
ルブルックは、1253年にコンスタンティノープルを発ち、南ロシアから「草原の道」を経て翌1254年にカラコルムに到着し、モンケ・ハンへの謁見を果たした。
ルブルックがルイ9世から託された使命は、十字軍への協力要請とキリスト教の布教であった。これについては、以下のような逸話が残っている。1248年、キプロス島に上陸した十字軍のもとに、モンゴル軍司令官イルチガタイからの使者がやってきた。熱心なネストリウス派信者であったイルチガタイは、「協力して聖地を奪還せん」とルイ9世に提案したのである。この話に惹かれたルイ9世はグユク・ハン宛てに返答の使者を派遣したが、すでに皇帝の座はモンケに移っており、情勢は変化していた。ルイ9世はさらにルブルックを派遣したが、ルブルックと会見したモンケはイルチガタイの使者の正当性を否定し、モンゴルによる世界制覇の野望を伝えたというものである。
また、ルブルックは「東方諸国旅行記」において、「彼らの住む家は、円形の、細い棒で作った上部が木枠でできているものである。ゲルのプレースに白いフェルトを用いる。大部分のフェルトは、白墨や白土と粉末にした骨を混ぜて彩色してあるので、フェルトが極彩色をしている。こうした住居は非常に大きいもので、幅が30フィートにまで達するものもある。私は車輪の直径を測ったことがあったが、その幅は20フィートあって、ゲルを積んで車を引く牛を数えると、一列に11頭でそれが二列からなっていた」と、当時のゲルに言及している。