オットー3世 (バイエルン公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オットー3世(Otto III, 1261年2月11日 ブルクハウゼン - 1312年9月9日 ランツフート)はヴィッテルスバッハ家の下バイエルン公(在位:1290年 - 1312年)、ハンガリー王(オットー、Ottó, 在位:1305年 - 1307年)。下バイエルン公ハインリヒ13世の長男。母はハンガリー王ベーラ4世の娘エルジェーベト。
1290年に2人の弟ルートヴィヒ3世、シュテファン1世と共に公位を継承した(弟たちはともにオットーに先立って死去している)。オットーはハプスブルク家のドイツ王アルブレヒト1世に対抗して、1180年に失ったシュタイアーマルクの奪還に挑んだ。ハンガリー王即位の要請は1301年に受けていたが、1305年にようやく受諾した。オーストリアやハンガリーの情勢と関わることで、オットーのバイエルンでの地位は弱体化し、最終的には財政問題でつまづいた。オットーはハンガリー史上では1301年から1310年までの空位時代の対立王とされる。
下バイエルンはオットーから息子ハインリヒ15世、およびシュテファン1世の息子ハインリヒ14世とオットー4世に継承された。ハインリヒ14世の息子ヨーハン1世は最後の下バイエルン公となり、上バイエルン公から神聖ローマ皇帝となったルートヴィヒ4世によってバイエルンは一旦統合された。
|
|
|