オートポイエーシス
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オートポイエーシス (autopoiesis) は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより、「生命の有機構成 (organization) とは何か」という本質的問いを見定めるものとして提唱された生命システムの本質に迫ろうとする概念である。 特に細胞の代謝系や神経系に注目した彼らは、個別の物質を越えたシステムそのものとしての本質的な特性を、円環的な構成と自己による境界決定に認めた。 現在では、このような自己言及的で自己決定的なシステムを表現しうる概念として、元来の生物学的対象を越えて、さまざまな分野へ応用されている。 なお、オートポイエーシスという語はギリシャ語で自己製作 (ギリシャ語で auto, αυτό は自己、poiēsis, ποίησις は製作・生産・創作) を意味する造語であり、日本語ではしばしば自己創出、自己産出とも書かれる。
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[編集] マトゥラーナとバレーラによる定義
マトゥラーナとバレーラはオートポイエーシス的システムを以下のように定義している。
- 「オートポイエーシス的システムとは、以下のような構成要素を生み出す構成要素の生成 (変換、破壊) の過程の、境界をもつネットワークとして組織される(ある統一的単位として定められる)。 (1) [オートポイエーシス的システムは] それら [構成要素] の相互作用と変換とを通じて、それら [構成要素] を生み出した過程 (関係) のネットワークを持続的に再生成し実現する。 (2) [オートポイエーシス的システムは] 構成要素が存在する空間内で具体的な実体としてそれ (システム) を構成するが、それは、このようなネットワークとしてその [システムの] 実現の位相的 (topological) な領域を指定することによってである。」(Varela, 1979; Maturana and Varela, 1980 より訳出)
ここでは、システムの構成要素の作動の過程が最終的にその構成要素自体を作り出す円環的な組織的特性が指摘されているのと同時に、そのことによってネットワークが自己とそうでないものとの境界を自ら決定づけるものであるとされていることが特徴である。
円環的構成という点において、オートポイエーシス的システムは、アロポイエーシス (allopoiesis, 異種の産出の意) 的システムと対比できる。 例えば、アロポイエーシス的システムである自動車工場では、自動車 (組織化された構造) を作り出すために部品 (構成要素) を用いるが、そこで作り出される物 (自動車) は、それを作り出した物 (工場) とは別である。 一方、細胞では、核酸や酵素、代謝物のような様々な生化学的な構成要素からなり、細胞内の組織化された構造を作り上げているが、物質とエネルギーの外部との交換に基づいて作動しているこれらの構造は、その構造を維持しつづけるようにその構成要素を絶えず生成または分解している。 このような観点を採るとき、システムにとっては自己維持のみがその機能であり、それ以上でも以下でもないとみなすことができる。
さらに、オートポイエーシスの観点では、そうした過程全体の円環的な構造によってある閉包領域、操作的閉包 (operational closure) を作り出しており、それによってシステムと環境とを自ら区別していると考える。 こうしたシステムによるシステムの決定という観点は、オートポイエーシスという概念を利用することが、そうしたシステムの自律決定と、それを観測し記述することとの間をメタレベルで捉える視点を要求し、認識論的含意を無視されざるものとしている。
このように自己言及的な組織構成に着目したとき、外部とやりとりされる物質やエネルギーは、通常この操作的閉包をなしている組織構成そのものにはそれを決定するような情報も原因も与えない。 もし、外部の影響が組織構成を破壊するようなものならば、それは単にシステム自体の崩壊、すなわち死を意味するだけである。 マトゥラーナとバレーラは、オートポイエーシス的システムにおいて、外部が組織構成を決定するようなものではないということを、オートポイエーシス的システムは入力と出力を持たないと表現した。 これは観測者がシステムと環境との区別を設けた上で、それらの入出力に注目する通常のシステム観とは鋭く対立するものである。
[編集] 理論展開と他の分野への応用
こうしたオートポイエーシスの概念は、当初、形式的な記述をまったく用いずに展開された。 その後、主としてバレーラと共同研究者らによって、さまざまな数学的概念や形式モデルを用いた研究が行なわれたが、形式的な意味における理論の明確化と発展がなされてきたとは言い難い。 このためもあり、要素還元主義を徹底させ分子生物学の時代を迎えた生物学に対してオートポイエーシスが与えた影響は現在のところわずかなものに留まる。
この概念はむしろ、そのシステム論的斬新さから、システム論、情報学、心理療法、経営管理など、生物学以外の分野において広く引用されるところとなっている。 システム論的には、既存のシステム論が、環境内でのシステムの調整機構についてのみ言及し、システムの環境外およびシステムの自己言及を等閑視していたという限界を打破しようとする試みとして受け取られた。 またとりわけ、パーソンズの構造機能主義を逆転させ、自己準拠的社会システム論を模索していたドイツの社会学者、ニクラス・ルーマンがこの概念をコミュニケーションを構成要素とする円環的システムを表すものとして社会システム理論に援用したことは、オートポイエーシスの概念が広く人文科学に知られるきっかけとなった。 一方、河本英夫は、動的平衡システム、動的非平衡システムに代わるシステム概念として、オートポイエーシスを元にした新たなシステム論を展開している。
一方で、バレーラは、オートポイエーシスという用語は本来の産出関係が認められる細胞・免疫・神経システムに限定して用いられるべきであって、そのより一般的なシステム論的本質は単にオートノミー (自律性) と称されるべきだと主張している。
[編集] 参考文献
[編集] マトゥラーナ・バレーラの文献
- Maturana, H.R. and Varela, F.J., Autopoiesis and Cognition: the Ralization of the Living, 1980, D. Reidel: Boston; Springer, ISBN 9027710155;
河本英夫訳 『オートポイエーシス — 生命システムとは何か』1991, 国文社, ISBN 4772003673. — オートポイエーシスの概念が展開された基本的文献集. - Maturana, H.R. and Varela, F.J., The Tree of Knowledge: the Biological Roots of Human Understanding, 1987, New Science Library: Boston; Rev.ed. 1992, Shambhala: Boston, ISBN 0877736421;
管啓次郎訳 『知恵の樹 — 生きている世界はどのようにして生まれるのか』 1987, 朝日出版社, ISBN 4255870284; 1997, ちくま学芸文庫, ISBN 4480083898. — 一般読者向けに書かれた平易な著作. - Varela, F.J., Principles of Biological Autonomy, 1979,Pearson Professional Education: NJ, ISBN 0135009502. — バレーラの観点からの研究.
[編集] 他の研究者の文献
- 河本英夫 『オートポイエーシス — 第三世代システム』 1995, 青土社, ISBN 4791753879.
- 西垣通 『基礎情報学 — 生命から社会へ』 2004, NTT出版, ISBN 4757101201.
- 山下和也 『オートポイエーシスの世界 — 新しい世界の見方』 2004, 近代文芸社新書, ISBN 4773372133.
- Luhmann, Niklas, Essays on Self-Reference, 1990, Columbia Univ. Pr., ISBN 0231063687;
土方透、大沢吉信訳『自己言及性について』1996, 国文社, ISBN 4772004203.
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