カステリョン・デ・ラ・プラナ
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州 | バレンシア州 |
県 | カステリョン県 |
面積 | 107.5km² |
標高 | 30m |
人口 | 172,110人(2006年) |
人口密度 | 1,601人/km² |
39°59'N 0°2'W |
カステリョン・デ・ラ・プラナ(Castellón de la Plana、バレンシア語:Castelló de la Plana)は、スペインの都市。バレンシア州カステリョン県の県都である。イベリア半島の東に位置し、地中海のコスタ・デル・アサアールに面する。バレンシアからは北に約72kmの位置。人口は約17万人。
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[編集] 歴史
この地域で最初に知られている建築物は、ムーア人の城である。ハイメ1世が1233年にバレンシア王国を征服したあと、1251年にカステリョンの街が公式に建てられた。1251年9月8日、ハイメ1世はこの街を山から平野に移す許可を与え、言い伝えによれば1252年の四旬節に移動が完了した。中世にはこの都市は堀と市壁、塔によって守られ、教会が建設され、のちにカテドラルとなった。17世紀のヘルマニエス(es:Germanías)の反乱では、この都市は最後の砦となった。スペイン継承戦争でもハプスブルク家のカール6世の側に付いたが、フェリペ5世の部隊に占領された。
19世紀には市壁が壊され、街は広がり始めたが、半島戦争とカルリスタ戦争によって発展は中断した。1833年には新しく定められた県の主都となる。19世紀の後半には再び街は広がり始めた。鉄道が引かれ、港が拡張され、街を代表する建築物(病院、カジノ、劇場、公園)が建設された。
1991年にはハイメ1世大学が設立された。現在の市の経済はおもに製造業や手工芸品によっている。
[編集] 名所
- コンカテドラル・デ・サンタ・マリア(大聖堂代用の教会) - 13世紀に建てられ、その100年後に火事にあって再建された。
- 市庁舎 - 18世紀始めに建てられた。トスカーナスタイルのファサードがある。
- エル・ファドリ - 教会の鐘楼。17世紀に建てられた。
- 麻の取引所 - 17世紀前半に、麻布や縄の貿易のために建てられた。現在では催し物の会場に使われている。
- リェドのサンタ・マリアのバシリカ - 街の北西に建てられている。1366年に農夫が畑を耕しているときに発見したマリア像に捧げられたもの。16世紀に拡張されてバロック様式となった。
[編集] 関連項目
- CDカステリョン - この市に本拠地を置くサッカークラブ。
- プラジャス・デ・カステジョン - この市に本拠地を置くフットサルクラブ。
[編集] 外部リンク
- Ayuntamiento de Castellón - カステリョン市のサイト
- Universitat Jaume I - ハイメ1世大学