ハイメ1世 (アラゴン王)
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ハイメ1世またはジャウメ1世(スペイン語:Jaime I、カタルーニャ語:Jaume I、オック語:Jacme I, 1208年2月2日 - 1276年7月27日)は、アラゴン王、バルセロナ伯、およびモンペリエの領主。征服王と呼ばれる。在位は1213年から1276年。
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[編集] 生涯
父はペドロ2世、母はモンペリエの継承権を持つマリアで、この父母の間にただ一人生まれた子供であった。
ハイメはプロヴァンスを巡る権力争いの渦中に幼年期を過ごした。父ペドロはカタリ派とシモン・ド・モンフォールとの間の戦争に巻き込まれた。ペドロは息子のハイメをモンフォールの娘婿として差し出すことで、アルビジョア十字軍を懐柔しようとした。1211年モンフォールの元で教育を受けさせるために子供を委ねたが、ペドロは十字軍との対決を避けられなくなり、1213年9月12日ミュレの戦いで戦死した。アラゴンとカタルーニャは教皇インノケンティウス3世に訴え、モンフォールにハイメを引き渡させた。
ハイメはアラゴンのモンソンに送られ、テンプル騎士団の元に預けられた。大叔父のルシヨン伯サンチョとその息子ヌーニョが摂政となった。王国は1216年に騎士団と貴族が幼い王をサラゴサに連れて行くまで混乱が続いた。
成人したハイメは、イスラム支配下の地域の征服に乗り出した。1229年からバレアレス諸島(1229年マリョルカ島、1232年メノルカ島、1235年イビサ島)、1232年からバレンシア(首都占領は1238年)の征服を進めた。
フランスとの関係においては、ピレネー山脈の両側にまたがる国家を樹立し、ロワール川以北の権力と拮抗しようとした。しかし危険を冒すことはなく、ルイ9世と1258年にコルベイユ条約を結び、自身の地位を認めさせ、有名無実となっているカタルーニャに対するフランスの支配権を放棄させた。
後年の20年間では、娘婿のアルフォンソ10世に代わってムルシアのイスラム教徒と戦った。スペイン諸王の間では、立法者および調停者として高い地位を得た。
晩年には自分の領土を2人の息子に分け与えた。イベリア半島の領土はペドロ(ペドロ3世 (アラゴン王))に、マリョルカ王国(バレアレス諸島、ルシヨン、セルダーニュ)とモンペリエの領主権はハイメ(ジャウメ2世 (マヨルカ王))に与えたが、これにより兄弟間の争いが避けられなくなった。老王はアルシラで重病にかかり、王を辞してポブレの修道院に引退することを望んだが、1276年にバレンシアで死去した。
[編集] その他の業績
ハイメはキリスト教国の王として初めて、自伝的年代記『事実の書』をカタルーニャ語で著した。この書では王政の権力と目的の概念、封建的秩序での忠誠と裏切りの例、言語や文化に基づく民族主義的な感情の芽生え、中世における兵法が示されている。
ハイメの治世では、商人や職人が力を増し始めた。ハイメは貴族や僧侶に加えて商人や職人も参加する身分制議会「カタルーニャ議会」を設置させた。また、バルセロナには市会「百人議会」が生まれ、自治都市化が進んだ。
[編集] 妻子
ハイメは1221年にカスティーリャ王アルフォンソ8世の娘レオノール(エリオノール)と結婚した。レオノールとの離婚したのち(息子は嫡出子として認知された)、1235年にハンガリー王エンドレ2世の娘ビオランテ(ヨラーン)と結婚した。ハイメは何人もの愛人を持ち、庶子が数人生まれた。ハイメはテレサ・ヒル・デ・ビダウレと3度目の結婚をしたが、私的なもので、彼女がハンセン病を患うと捨てた。
ビオランテとの間のおもな子女は次の通り。
- ビオランテ - カスティーリャ王アルフォンソ10世と結婚
- コンスタンサ - カスティーリャ王フェルナンド3世の息子と結婚
- ペドロ - アラゴン王ペドロ3世
- ハイメ - マリョルカ王ジャウメ2世
- イサベル - フランス王フィリップ3世と結婚
[編集] 外部リンク
- The Chronicle of James I, King of Aragon - ハイメ1世の年代記
- The Book of Deeds - 『事実の書』(PDF)
[編集] 参考文献
- 英語版より:
- The Book of Deeds of James I of Aragon: A Translation of the Medieval Catalan "Llibre Dels Feits" ("Crusade Texts in Translation" Series) translated and edited by Damian J. Smith and Helena Buffery, 2003 ISBN 0754603598
- 田澤耕『物語カタルーニャの歴史』中公新書、2000年 ISBN 4-12-101564-9
先代: ペドロ2世(カトリック王) |
アラゴン王 1213-1276 |
次代: ペドロ3世(大王) |
バルセロナ伯 1213-1276 |
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先代: 新規 |
バレンシア王 1238-1276 |
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マリョルカ王 1231-1276 |
次代: ジャウメ2世 |
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先代: マリア |
モンペリエの領主 1219-1276 |