カルロス・アロヨ
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カルロス・アルベルト・アロヨ(Carlos Alberto Arroyo、1979年7月30日 - )は、プエルトリコ・ファヤルド出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。プエルトリコでは5人目のNBAプレイヤーで、かつ史上最も活躍したプエルトリコ出身選手とされている。現在はオーランド・マジック所属。
[編集] NBAでの経歴
卒業後、トロント・ラプターズと契約したが、シーズン途中の2002年1月に解雇され、一時スペインでプレー後、同年3月、デンバー・ナゲッツと契約。
同年シーズン終了後、ユタ・ジャズと契約。2003年にジョン・ストックトンが引退した後は、ポイントガードのポジションを埋める活躍を見せる。11月14日のミネソタ・ティンバーウルブズ戦ではプエルトリコ出身選手としては最多記録となる30得点をマークした。
2005年1月、ジェリー・スローンHCとの確執を理由に、エルデン・キャンベルとの交換によりデトロイト・ピストンズへトレードされる(キャンベルは直後に放棄されピストンズ復帰)。同シーズン、プエルトリコ人としてはアルフレッド・リー(ロサンゼルス・レイカーズ)以来2人目となるNBAファイナル進出を果たすが、敗退。
2006年2月、ダーコ・ミリチッチとともに、ケルビン・ケイトーおよびドラフト指名権とのトレードでオーランド・マジックへ移籍。
[編集] プエルトリコ代表
プエルトリコ代表としてアテネ五輪及び2006年世界選手権に出場した。2006年世界選手権代表のうちNBA所属はアロヨとピータ・ラモスの2人であった。