カール・ゲルドレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カール・フリードリヒ・ゲルドレール(Carl Friedrich Goerdeler, 1884年7月31日 - 1945年2月2日)は、ドイツの保守政治家および反ナチス活動家。ゲルデラーとして知られる。 ゲルドレールはプロイセンの役人の息子としてシュナイデミュール(現ポーランドのピワ)で生まれた。彼は法律を学び、第一次世界大戦後にはドイツ全国人民党(DNVP)に参加した。彼は1930年にライプツィヒの市長に選出された。
ゲルドレールはナチスの人種政策に反対した。ナチスと協力したDNVPを1931年に離党した。1933年にはゲルドレールはナチスに反対する少数の政治家のうちの一人となった。1936年にナチスがユダヤ人故にフェリックス・メンデルスゾーンの記念碑を破壊した時、ゲルドレールは再建に尽力した。その後彼は再選を求めず市長職を辞職した。
ゲルドレールは反ヒトラー活動を進め、ヒトラー政権打倒の暁には首相に予定されていた。しかし彼は保守的で君主制に賛意を示し、経済的にはリベラルで、反共産主義的であり、ヒトラー暗殺に反対したことからクライザウ・サークルの若手の反ナチス活動家達から拒否された。
1944年7月17日にゲルドレールの逮捕状が出され、8月12日に投宿した旅館の主人によって密告され逮捕された。彼は9月9日死刑が宣告されたが、他の共謀者を自白させようとしたゲシュタポによって何か月も拷問を受けた。彼は1945年2月2日に断頭によって処刑された。