ガエターノ・プニャーニ
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ガエターノ・プニャーニ(Giulio Gaetano Gerolamo Pugnani、1731年11月27日トリノ - 1798年7月15日トリノ)は、イタリアのヴァイオリニスト、作曲家。
10歳の時、師であるジョヴァンニ・バッティスタ・ソーミスが率いるトリノのレージョ劇場のオーケストラで演奏した。1748年、同オーケストラに正式に採用された。1749年、奨学生としてローマのヴィンチェンツォ・チャンピに対位法を学び、1750年、トリノに戻った。1754年、パリのコンセール・スピリテュエルでみずからのヴァイオリン協奏曲を演奏し、そのほかオランダ、ロンドン、ドイツなど、演奏旅行した。1763年、トリノの宮廷楽団で第2ヴァイオリンの首席奏者となった。1767年、ロンドンのキングス劇場の指揮者となり、ここで1769年に彼の最初のオペラ「ナネッタとルビーノ」を指揮した。1770年、トリノの宮廷楽団の首席コンサートマスター、指揮者に就任。1776年、トリノの宮廷ヴィルトゥオーソ、器楽部門総監督に、1786年、軍楽隊の楽長となった。この間1780年から1782年、弟子のジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティとともにロシアで演奏旅行を行った。
[編集] 主な作品
- 器楽作品
- 18曲のソナタ
- トリオ・ソナタ(多数)
- 6曲の弦楽四重奏曲
- 五重奏曲(さまざまな編成)
- 12曲のシンフォニア、序曲(オーケストラ)
- ヴァイオリン協奏曲
- 声楽作品
- アリア、カンタータ(各複数)
- オラトリオ「解放されたベトゥーリア」
- オペラ
- ナネッタとルビーノ(1769年ロンドンで初演)
- イセア(1771年トリノで初演)
- アドニスとヴィーナス(1784年ナポリで初演)
- スキロスのアキレス(1785年トリノで初演)
- デモフォオンテ(1787年トリノで初演)
- ロードス島のデメトリオ(1789年トリノで初演)
カテゴリ: イタリアの作曲家 | イタリアのヴァイオリニスト | 1731年生 | 1798年没