ガーデブッシュの戦い
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ガーデブッシュの戦い(Battle of Gadebusch)とは、大北方戦争の中期、スウェーデンのマグヌス・ステンボック将軍と、ザクセン選帝侯アウグスト2世及びデンマーク王フレゼリク4世との間で戦われた戦闘である。
1712年12月9日に、ドイツ(神聖ローマ帝国)、メクレンブルク公領のガーデブッシュの森で行われた戦闘で、スウェーデン軍が勝利した。大北方戦争で、1709年のポルタヴァの戦いにおけるスウェーデンの敗北以後、苦戦を強いられていたスウェーデンの底力を周辺諸国に見せつけ、「スウェーデン、侮り難し」の印象を植え付けたのである。
ステンボック将軍は、1710年のスコーネにおけるヘルシングボリの戦いにおける勝利によって、救国の英雄となっていたが、ヨーロッパ本土におけるスウェーデン軍の劣勢を打開すべく、将軍を派遣したのである。と言うよりも、スウェーデンには、最早、派遣できる将軍レベルの軍人は、ステンボック将軍くらいしかいなかったのである。
ザクセン・デンマーク連合軍は、3万人。ステンボック将軍のスウェーデン軍は、1万人の軍勢で、ステンボック将軍を先頭に果敢に猛攻を仕掛けた。後方への守備兵を除くと、実質1万人もいなかったにも関わらず、士気は高かった。そして激戦の末、連合軍を撃破したのである。この戦いで連合軍は油断していたとは言え、1万の軍勢で、3万の大軍を敗った事で、ステンボック将軍は、大戦術家と称えられたのである。連合軍の損失は、死者3,000人、捕虜4,000人、その他、大砲など兵器が押収されるなどの大敗、スウェーデン軍は、損害らしい損害の無い大勝であった。この戦勝によって、ステンボック将軍は陸軍元帥に昇格した。
この戦いの勝利は、しかし大北方戦争全体の勝利には結びつかなかった。後背のポーランド王国は、オスマン帝国のスルタンへの報告を妨害し、スルタンと、スウェーデン王カール12世の仲は険悪なものとなるのである(カール12世自身は、この戦勝報告を受け取った)。またステンボック将軍も、1712年末の悪辣な復讐によりドイツの支持を失い、孤立無援となった。そして1713年のステンボック将軍の降伏によって、最終的には、この地域においても、スウェーデンの敗北は明白になって行ったのである。
しかし戦局は苦境にあっても、この当時のスウェーデンがまだ強靱であった事を示す戦闘であった事は、間違いない事実であった。