クニマス
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クニマス | ||||||||||||||||||||
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分類 | ||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||
Onchorhynchus nerka kawamurae | ||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||
Local Salmon |
クニマス(国鱒・学名Oncorhynchus nerka kawamurae)は、サケ目・サケ科に分類される淡水魚の一種。別名キノシリマス、キノスリマス、ウキキノウオ。かつて秋田県の田沢湖に生息していたが、絶滅した。現存している標本は20体あまり。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。学名にある「kawamurae」は、学名をつけたジョーダン (David S. Jordan) とマクレガー (Ernest A. McGregor) が、当時京都帝国大学の川村多実二教授より標本を贈られた事に対する感謝の表れである。
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[編集] 概要
体は全体的に灰色、若しくは黒色で下腹部は淡い。幼魚は9個前後のパーマークを有する。体長は30~40cm。皮膚は厚く、粘液が多い。他の種に比べ瞳孔、鼻孔が大きく、幽門垂数はサクラマス程度の40~60と著しく少ない。しかし鰓耙数(さいはすう)は多い。また、胸、腹、尻鰭が長い。岩に付着した藻類やプランクトンを餌としていたと考えられている。普段は田沢湖の深部に生息し、産卵期が近づくと浅瀬に現れた。
1925年に、ジョルダンとハッブス (Carl L. Hubbs) により新種の魚として発表されたが、ベニザケの陸封型であるヒメマスの亜種とされた。しかし、周年産卵する点などから別種(学名Oncorhynchus kawamurae)とする意見もある。しかし、周年産卵するというのは実際に確認されたものでなく、あくまで説である。
1940年に玉川の強酸性水が発電所を通して田沢湖に大量に流入したため絶滅した。しかしそれ以前に人工孵化の実験をする際等に、琵琶湖、本栖湖、西湖 (富士五湖)に、また詳しい場所は不明だが長野県、山梨県、富山県に発眼卵を送ったという記録があったため、田沢湖町観光協会は1995年11月から100万円、1997年4月から翌1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜した。しかし現在に至るまで見つかっていない。
漫画「釣りキチ三平 平成版」では、三平の祖父一平が密かに山中の地図に載っていない湖に移植し、そこで繁殖していたものが再発見される、というストーリーがあるが、残念ながらフィクションである。
[編集] 名前の由来
クニマス(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた佐竹藩主がクニマスを食べ、お国産の鱒ということから国鱒と名付けられた。
キノシリマス(木の尻鱒)は、キノスリマスの語源は、辰子伝説エピソードの一つの、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところそれがキノシリマス(木の尻鱒)になったと言う事から名付けられた。
ウキキノウオ(槎魚)は田沢湖の別名、槎湖(うききのみずうみ、さこ)、漢槎湖(かんさこ)から名付けられた。
[編集] 漁
クニマス漁は一年中行われ、くり舟を使用した。漁法は刺し網漁法で、夏は深部に、冬季は浅く網を下ろす。ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月~3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色してゆく。
[編集] 味
白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や正月などのときにしか食べることのできない高級魚で、昭和天皇に献上された事もある。料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。
[編集] クチグロマス
クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚にクチグロマス(口黒鱒、学名なし)がある。こちらはクニマスに比べ非常に資料が乏しく詳しい事は全くわからないが、体長は25cm~35cm程度で水深50~100m付近に生息していたと思われる。ただし、クチグロマスはヒメマスと、クニマスの雑種とされる事もある。