クラウス・フォン・ビューロー
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クラウス・フォン・ビューロー(Claus von Bülow, 1926年8月11日 - )はデンマーク出身のイギリスの法律家、演劇評論家。妻マルタ・フォン・ビューロー(愛称サニー)にインシュリンを過剰投与し殺害を図った容疑で起訴されたが、無罪となった。
クラウス・セシル・ボルベア(Claus Cecil Borberg)としてコペンハーゲンに生まれる。ビューローとは母方の苗字で、ドイツ貴族の家系。指揮者ハンス・フォン・ビューローは親類である。父スヴェン・ボルベアは劇作家で、ナチの共鳴者として知られていた。
クラウスはケンブリッジ大学トリニティコレッジを卒業して1950年代に弁護士を開業したが、その後J・ポール・ゲッティの助手となった。ゲッティによると、このころのクラウスは性格温厚で忍耐強く、時にゲッティの罪の身代わりの役をこなしていたそうである。1966年6月にサニーと結婚したが、その後も1968年までゲッティとの付き合いは続いていた。
1982年、米国ロードアイランド州ニューポートの自邸にて、妻サニーの殺害を図った容疑で起訴。公判はクラレンドン裁判所でおこなわれた。このときクラウスは有罪となり、懲役30年を言い渡されたが、高名なハーヴァード大学教授アラン・ダーショヴィッツを雇って控訴。ダーショヴィッツとその弁護団は一審で最も有力とされた証拠や証言を覆し、1984年、クラウスは無罪となった。1985年の再審で、陪審はクラウスを全ての容疑で無罪とした。
しかしサニーの遺族はクラウスの罪を信じ続けた。ビューロー夫妻の娘コージマ・フォン・ビューローは、公判で父の無実を証言したために、母方の祖母(つまりサニーの母)アニー・ローリー・エイトケンの遺産相続人から除外された。クラウスの2人の養子(サニーの連れ子。父はサニーの前夫アルフレッド・オヴ・アウエルスペルグ王子)は、5600万ドルの損害賠償を求めてクラウスを提訴した。この結果、クラウスはサニーの個人財産(7500万ドル)に対する相続権を全て失った。その代わりにコージマは相続権を回復することとなった。
今、クラウスはロンドンに住み、美術批評や演劇評論に筆を振るっている。サニーは今なおニューヨークの病院で植物人間として生き永らえている。
ダーショヴィッツがこの事件について書いた本は、のちに『運命の逆転』という題名で映画化された。この映画ではクラウスの役をジェレミー・アイアンズが演じている。アイアンズは、この演技でアカデミー主演男優賞を獲得した。