クレモナのジェラルド
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ゲラルドゥスまたはクレモナのジェラルド(ゲラルド、ヘラルド)(GherardusまたはGherardo Cremonensis、1114年頃 - 1187年)は12世紀に多くのアラビア語の学術書をラテン語に翻訳したイタリアの学者である。クレモナのゲラルドと呼ばれる人物はもう一人いて13世紀に薬学の著書を訳した人物がいる。
イタリア、ロンバルディアのクレモナに生まれた。イタリアにおける学問の知識に満足できなかったゲラルドゥスはスペインのトレドに学んだ。その年は1144年より前にであったとされる。当時のトレドはカスティーリャ王アルフォンソ6世が、1085年にイスラムからトレドを攻略した後でありキリスト教徒にとって安全な地となっており、アラブ文化、ヘブライ文化の中心として栄えていた。ラビ・ベン・エズラ(Rabbi ben Ezra)らの有名な学者もトレドにいた。
ゲラルドゥスの訳した学術書にはプトレマイオスの『アルマゲスト』がある。これは15世紀にトレビゾントのゲオルゲやレギオモンタヌス(ヨハン・ミューラー)がギリシャ語の原著から訳すまで西ヨーロッパ言語への唯一の訳書であり、コペルニクスの理論が現れるまで,天文学の基礎の位置を占めた。またアッ=ザルカーリーらによって製作されたトレド表もラテン語に訳した。
アリストテレスに次ぐ「第二の師」と呼ばれて、エウクレイデス の注釈書を書いたアル=ファーラービー (Al-Farrabi)の著書をもとにDe scientiis (科学について)を著した。
他に,ユークリッドの幾何学の書「原論」をはじめ,アル=ファルガニーの天文学書をラテン語に訳した。
トレドで没した。