グアテマラシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グアテマラシティ(Guatemala City)正式にはラ・ヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオン(La Nueva Guatemala de la Asunción)はグアテマラの首都であり最大の都市である。地元ではたんにグアテマラと呼ばれ、非公式にはグアテとも呼ばれる。
グアテマラシティの人口は、100万人から250万人を上回るほどと推定される。グアテマラシティはグアテマラの中央部の南部にある谷に位置している。このことはときに空気が濃縮され、大気汚染がおこることにつながる。
目次 |
[編集] 歴史
現在のグアテマラシティは古代マヤ文明の大都市カミナルフユ(Kaminaljuyu)にあたる。カミナリフユの歴史は2000年前にさかのぼり、中央メキシコのテオチチュカンと交易をもっていたことが知られる。カミナルフユの中心部は、グアマテラシティ旧市街から少し離れたところに位置していた。20世紀後半に、グアテマラシティの市域は遺跡のあったところにまで拡張した。そしていくつかの場合には、遺跡の保護が市域の拡大に追いつかない場合もあった。カミナルフユの中心であった儀式が行われた場所は、現在は市中であり、公園になっている。
スペインの植民地であった時代には、グアテマラシティはエル・カルメンという名の小さな町であった。この町は1620年に創建され、小さな修道院があった。1773年に、当時のスペイン植民地政府の首都であるアンティグア・グアテマラが地震による壊滅的な被害を受けたことに伴い、1775年にスペイン植民地の中央アメリカの首都は、アンティグア・グアテマラからグアテマラシティへと遷都された。その結果市が大きく拡大することになったのである。
19世紀初頭にグアテマラ総統府が独立し、ついで中米連邦が結成されると、グアテマラシティはその首都となった。中米連邦が崩壊し、グアテマラが独立した主権国家であることを宣言すると、グアテマラシティは新生グアテマラ共和国の首都となった。
[編集] 特徴
グアテマラシティは、グアテマラの経済・政治・文化の中心である。また中央アメリカにおける最大の都市でもある。標高約1500mの高原地帯に位置しており、緯度的に熱帯気候に区分されるグアテマラの中では1年を通じて比較的過ごしやすい気候である。市には国立考古学民族博物館(Museo Nacional de Arqueologia y Etnologia)やポポル・ブフー博物館(Museo Popol Vuh)、国立近代美術館(Museo Nacional de Arte Moderno)など30を超える美術館と博物館があり、いくつかの優れた先コロンビア期のコレクションが見出される。グアテマラシティには5つの大学があり、そのなかでもサン・カルロス大学(Universidad de San Carlos)は、アメリカ大陸で三番目に古い大学である。
グアテマラシティには旧市街と新市街の2つの地区があり、15の行政区(Zona1-Zona15)に分けられている。旧市街地区の中心はZona1、Zona3、Zona5周辺であり、中央市場やカテドラル、国立劇場などがある。また、隣接するZona4には周辺一帯にバス会社各社の発着場が集中するバスターミナル地区があり、国内各地や周辺国への長距離バスが数多く発着している。新市街地区の中心はZona9、Zona10周辺であり、政府機関や各国大使館、高級ホテルなどがこの地区に集中している。なお、Zona10は、特に「Zona Viva」の愛称でも呼ばれている。
[編集] 交通
市の中心部から約7キロ南の新市街(Zona13)にラ・アウロラ国際空港が位置する。この空港はアンティグアからの最寄空港でもある。市内交通はバスおよびタクシーが主な手段である。鉄道の便はない。