ケッタウェイズ
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ケッタウェイズ(Kettaways)は日本のバンドである。バンド名の由来は映画「The Getaway」からとられた。
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[編集] 概要
1977年~80年代にかけて静岡放送(SBSラジオ)で放送されていた若者向けラジオ放送の「1400電リクナイター」、「1400電リクアワー」、そののちの「ぶっちゃけスタジオCut in!」(ここまでは基本的に野球放送の間を縫って放送されていた。上手く行けば9時からの60分番組)、さらにそれに続く「フリーステーション1.2.0(ワンツーオー)」(ここでは画期的なことに120分番組となる。しかし後に放送時間の短縮により従来の60分番組となり、120分番組ではなくなったのにも関わらずそのまま「フリーステーション1.2.0」を名乗りつづけたりもする。因みに当時TBSラジオで放送されていた「フリーステーション」とは全く関係がない)などの番組を担当した当時の若手アナウンサーやディレクターによって1978年7月に結成され、約7年間活動したバンド。しかし素人耳にも正直には上手いとはいえなかった。
[編集] メンバー
の4名である。
[編集] 歌
歌っていたのは主にオリジナル曲が多いが、グループサウンズ、ビートルズ、ベイシティ・ローラーズ等のカヴァーも結構歌っていた。 残されていた音源を利用し、公式サイト「KETTAWAYS MUSEUM」(現在はURL消失)管理人により、オリジナル曲を収録したレコードを自費出版したことがある。当時の音源を利用したCDも後年制作された。主要オリジナル曲「風よ翼に」「心の扉」など。
[編集] 活動
しばらくはこの4名で活動していたが、後に荻島アナがSBSからTBSの早朝番組の司会として出向してしまったために(後にそのままSBSを退社、フリーアナウンサーとなる)ケッタウェイズとして活動を続けることができなくなり、それまでわりと頻繁に行われていたコンサートは一旦、Kettaways Ist Break Concertを行い、活動を停止する。その後、荻島アナが東京より駆けつけてKettaways 4th Concert を行い、「ケッタウェイズは伝説ではない」と高らかにケッタウェイズの復活を告げるものの、その翌年にはいきなりファンを裏切るKettaways Final Concertを行うという支離滅裂ぶりを披露する。このあたり、非常にケッタウェイズらしいという声もある。
4th Concertでは直前にドラムの鷹森ディレクターが盲腸になりこのままコンサートは中止か、と思われたがその当時第二期フリステに番組を持っていた地元静岡のアマチュアバンド・タランチュラのドラマーが応援に駆けつけて無事、コンサートを切り抜けるというハプニングもあった。なお、この時会場ではこの欠席した鷹森ディレクターが病院で録音したファンに対するメッセージ「この痛みをあなたにも分けてあげたい」という素晴らしい一言が流れ、会場は大爆笑に陥るというハプニングもあった。
ライブやコンサートは30回以上行われたとされる。1984年10月13日のファイナルコンサートを最後に解散したが、1997年11月16日に1度だけ復活コンサートが行われた。